哲学者マキァヴェッリについて

随分間空いてしまったけど、また再開したいと思います。前回もそんなこと言って結局だいぶお休みしてしまったけど。

著者はアメリカの政治哲学者。1899年のドイツで生まれたユダヤ人。ナチスに迫害を逃れてアメリカにわたり、シカゴ大学で政治哲学の教鞭をとる。1973年に亡くなる。

自分がここに乗せるものはオススメのものばかりにしようと思っていますが、本書についてはじつはそんなにお勧めしません。

理由はとにかく難解だからです。以下感想書きますが、感覚としてちゃんとした理解が10だとしたら0.5くらいしか分かった気がしません。感想について調べてなかなか出てこないから自分だけじゃないんだということに少しホッとしてます笑

著者はマキャベリについて、単に政治技術を教えただけでなく、実は新しい政治体制を構想しており、マキャベリこそは新しい政治体制(近代)を創造した人間だということを論証しています。論証の仕方は使われている表現、省の数、ほかの著書の引用のされ方、当時の政治論の中で当然語られるべきことの欠如など、キリスト教神学はもちろんギリシャローマの古典的政治哲学の素養などがないと、わからないような方法で行われています。著書の表題にある「哲学者マキァヴェッリ」の哲学って何?という部分については日本語版への序文によくまとまっているのでそれだけ読めばOKだと思います。以下こんな感じです。

・人間は自然において悪である。したがってアリストテレスにある人間はポリス的動物であるというのは否定。(古典的政治哲学の基礎としての人間を否定)

・そのため古典的政治哲学における善き生のため政治体制(プラトンの哲人国家など)を否定。

・人間が原罪の状態(マキャベリ的な悪)の状態にあるが、救済の否定(聖書的なものの否定)したがって人間が目指すのは天国でなく地の国のみ。

・人間の悪を基礎とした政治体制を構築すべしとする

つまり

・人間の善的性向 → 人間の幸福のための政治体制(古典的政治哲学)

・人間の悪的性向(原罪) → 人間の幸福のための天国(キリスト教)

・人間の悪的性向 → 単なる人間生命の保存術の政治体制(マキャベリ)

という感じかなと理解しました。

個人的、近代以後の人間からしたら人間の悪に基づく、理想でなく現実に即した政治体制を創造したといっても、あまりピンときません。ある意味それって当然でしょという感じです。プラトンやアリストテレスもちょっとだけ読んだことありますが、むしろ古典的政治哲学のほうがこんなこと昔の人が考えていたんだなんていうほうが驚きです。キリスト教については我々とっては1つの宗教です。

ただそれをどうやって表現しているか、本書ではマキャベリの主著の「君主論」と「ディスコルシ」を読み比べていくことでマキャベリの真の意図にせまっています。ちなみに両著ともキリスト教もプラトンもアリストテレスもほぼ出てきません。そんなの批判したら即火あぶりなのでものすごい複雑な表現技術を用いております。そして著者はそれに迫っていきます。その迫り方にこそ本書の魅力がおそらくあるのだと思いますが、全然追いつけません泣

もしこの感想読んでチャレンジされる方がいましたらぜひ読んで感想お願いします。感想くださいというより何が書いてあるのか僕に教えてください泣



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