シツケテアソバセ【短編小説】

 カラスの鳴く刻。黄昏。公園のうっすら橙色に染まった長椅子にも、酒につぶれた不良品が一人。口からは世間の悪口。自分を律する言葉なんて寸分も出てこない。
 地元の子供たちが遊んでいる。ただただ、自分にもこんないたいけな頃があったのか、と埃にまみれた記憶を漁る。思い出すほど、今の自分の醜さが際立った。そんなことを思いながらまた、右手の缶は口元に向かう。やるせない。
「君も一緒に遊ぼうよ。」子供たちの会話に、耳を傾けてしまう。
「…」
「ほら、こっちこっち。」孤立していた子もみるみる、子供たちの一部になっていく。その様子を見ているとすっかり辺りは暗くなり、街灯だけが眩い光を発していた。

 やがて、目の前に一匹の猫が現れた。濃紺の首輪をつけた、痩せた猫。一人の子はその猫を見つけると、君も一緒に遊ぼうよ、と声をかけた。もちろん返事などするわけがない。周りこそ騒がしいもののその子と、猫と、男との間には不自然な静寂が流れた。まるでガラス玉のように、ぼんやりとした街灯を反射する猫の目は、引き込まれてしまいそうな魅力を感じた。呼吸の一回一回が慎重になってしまう。

 沈黙はすぐに破られた。
「こっちだよ。」猫は男の子に抱えられ、子供たちの群れへ飲み込まれていく。心なしか、猫が嬉しそうに見えた。孤独をそのまま映したような猫の瞳に、光が差した気がした。
(良かったな。楽しんで来いよ。)心の中でつぶやくと、猫を抱えた男の子は遊び場に戻っていった。
 それからは、時折鳴き声が聞こえるようになった。久しく聞いていなかった動物の鳴き声は、心を癒すものだった。が、そのときだった。

「にゃぁぁぁぁご」
 けたたましい鳴き声が静けさを壊す。男は、強烈な不安感に駆られた。それは、牢獄から這い出ようと呻く刑囚を彷彿とさせた。
「君も一緒に遊ぼうよ。」今度は近くで聞こえた。返事は無い。
「君だよ。ずっとこっち見てたでしょ。」少年は半笑いだった。静けさも相まって不気味な笑い声が響いた。

 沈黙。聞こえるのは、奥で群がる子供たちの笑い声と、街灯に群がる虫たちの羽音だけ。猫の鳴き声はもう聞こえない。男は理由を考えたくなかった。
「ねぇ、シカトすんな。」その言葉はあまりに単調で、人間のものとは思えない。
 まさかな、と思い目を上げた瞬間だった。
 右腕が引っ張られた。尋常じゃない力。筋肉が圧迫される痛みが走った。
「は、離してくれ。」
「行くよ。」さらに力が強くなる。座っていたベンチから引きずり落される。引きずられながら必死にもがいても、どんどん子供たちの群れは近づく。子供たちは全員こっちを見ていた。

 奥からはひそひそと、子供たちの話し声。もう微笑ましくは聞こえなかった。
 男の後ろに車が通った。大きな配送トラックは、時間にそぐわないけたたましい音を立てながら去っていく。子供たちは驚き、ひるんでいるようだった。男は相変わらずもがいていたが、子供たちが隙を見せた瞬間、体が人混みからすっぽ抜けた。

 子供たちはざわつき始める。
「お友達逃げたよ。」
「ほんとだ」
 男は震えながら逃げた。ただひたすら公園の外を目指した。子供たちは追わない。全員、微動だにせずに立ち尽くしていた。

 男はなんとか公園の出口までたどり着くと、さっきのトラックが止まっていた。乾いたエンジンの音が静かな住宅街に響く。半ば安心して近づき、トラックがよく見えるようになると男は青ざめ、膝から崩れ落ちた。吐く息は白く、頬には涙がつたる。
「見ーつけた。初仕事だ。」一人の少年がトラックの前に立っている。顔は暗さでよく見えないが、細くて高い薄気味の悪い声をしていた。逃げ出そうとしても、体は動かない。何かに縛られている感覚に陥っていた。少年は近づいてくる。一歩一歩、怯える男を鑑賞するかのようにゆっくりと歩いてくる。段々と少年の姿がはっきりと見えるようになった。男は呆然とした。

 少年の首には濃紺の首輪がついていた。

波止場 かもめ(中学3年)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?