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解き卵【占いの裏】

 卵を割り、黄身と白身が混然一体となるまで混ぜ合わせたものを溶き卵という。これを焼けば卵焼きとなるわけだが、もともとの溶き卵は、全く別の用途のものだった。
 日本で養鶏が広まったのは平安時代以降のことだが、鶏卵が食卓に並ぶには江戸時代まで待たなくてはならない。当時、食い扶持を失った武士にとって、完全栄養食とも言われる卵は、この上ないご馳走。彼らの食べ方は、生卵に日本酒を注いで一気に飲むというものだった。
 「武士は食わねど高楊枝」とある通り、腹をすかした武士と楊枝は常に対になっていた。ある時、飢えた武士の前に生卵が供される。彼はおもむろに、卵の黄身に楊枝を突き刺した。楊枝はまっすぐに立ち、運命を感じた武士は、そのまま卵をぐずぐずになるまでかき混ぜ、酒を加えずに飲んだという。
 その後、大きく出世した武士は、この卵による占いを「解き卵」と呼び、仲間の武士たちの間に広めた。その様子は、安永年間に出版された『民草卜占袋大成』にも記載があり、武士以外の人々にもこの占いが広まっていたことが分かる。この武士の出世がなければ、江戸風の卵焼きも生まれなかったかもしれない。

キュレーター 羽根川 樹里

Photo by Dan Farrell on Unsplash

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