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記録について

電車に乗らなくなって1週間が経つ。毎日状況が変わり、この世のあちらこちらで起きているひずみを感じる。

最初の一週間は記録を必ずつけようと思って、こころとからだの動きの記録をつけた。この先記録が1カ月半年1年と続いたら、自分の生活が時間軸をベースに全てのこったら、なんらかの資料に出来るのではないだろうか。生活の記録が何の資料になるのかとも思うが、記録は使い道がたくさんあるとされているのだから、資料にはなるのではないだろうか。

つぎの一週間は記録と考えのまとめに合わせて創作を自分の課題にいれてみようと思う。必ず小噺を書き上げる。どこかの世界で暮らす誰かをじぶんのなかからひっぱりだして私が電車に乗れない分もおでかけしてもらえたらそんな素敵なことはないんじゃないのかなと思って。記録と違って小噺は資料になるのだろうか。

でも本当は資料になんてならなくたっていい、直接的に役に立たないもの、もっとわかりやすく言えばそれ自体で収益があがらないものへの愛が電車に乗らなくなってどんどん増している。

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