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「記憶の珍味 諏訪綾子展」

嗅いだ匂いがふとよみがえってきた。夕方ごろサウナに入っていた。昼すぎの匂いが鼻の奥にあるのを感じた。大学時代の先輩から資生堂ミュージアムの展示がいいよと聞いて、銀座にあるミュージアムへ昼すぎにいったのだった。先輩が話していた展示はもう終わっていたが、サウナでよみがえってきた匂いをミュージアムで嗅いだ。

資生堂ミュージアムで会期中の展示は「記憶の珍味 諏訪綾子展」という言葉の取り合わせに妙があるものだった。珍味、記憶、これらを結び付けて「記憶の珍味」と。初めて耳にした。作者の諏訪さんが調合した数種類の「記憶の珍味」を来場者が実際に味わうというのが、会場内での試みである。匂いを嗅いだら、記憶をもっとも直感的に呼び起こすものを選んで、珍味を実際に食べる。わたしが選んだのは、結晶のようなものが放つ匂いだった。8つあるうちの一つがそれだったのだが、選んだ匂いよりも、かぐわしさを持つもの、心地よく長く嗅いでいたい匂いもあったのだが、好きとか心地よいとかよりも、もう一度嗅ぎたいのがそれだった。

わたしのどの記憶が匂いと結びついたのだろう。
サウナ室のなかで何となく思い当たる節が出てきた。小学生のころに親から怒られてよく泣いた後の鼻の奥の感覚。涙の味が鼻のずっと奥を通じて頭全体に染み込んできたあの日。泣きべそをかいた記憶と匂いは似ていた。


視覚だけではなくて、もっと無意識につながる感覚を呼びおこすものを作ってみたい。文章がわたしの主な創作なのだが、読んでいて嗅覚/触覚/聴覚/味覚を味わえるような文章を書きたい。テキストだけでは視覚以外の感覚はそうは揺さぶられない。文章と映像、文章と感覚の関係を探っていこう。

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