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『キミは、「怒る」以外の方法を知らないだけなんだ 森瀬繁智著』を読んで思ったこと。

kindleのunlimitedになっていた本で『キミは、「怒る」以外の方法を知らないだけなんだ 森瀬繁智著』を読んだ。結構良かった。
まず、読んだ直後の感想は『この著者は「怒り」についてしっかり観察しているなぁ~』っていうこと。さすがコンサルさんである。
怒りについての原因や対処法について、それぞれのテーマで様々な角度から、見開き単位で記載されている。

1. 怒りの対処法

まずは怒りの「対処法」について、本書全体から抜粋してみる。
●「自分は今怒っているんだなぁ~」と気づく
(メタ認知)
●「キミはそう考えるんだね」と受け入れる
(相手を理解する)
●「あなたは間違っている」ではなく
「あなたと私は違っている」と考える
●「恐怖(怒る)」ではなく
「喜び」で人を動かす
●「嫌な人」は「ひらり」とかわせ
(相手にするな)
●「嫌な人」に自分の大切な時間を使うな
(思い悩むな)
●「嫌な人」には「可哀そうな人だ」と思いやる
(メタ認知)
●「嫌な人」は「反面教師」、「感謝」しよう
(受け止め方の転換)
●自分の良い所を引き出してくれる人と付き合え
(嫌な人とは付き合うな)
●あるがままの自分を受け入れよう
(自己受容が高い人は怒りにくい)
●言葉に出して確認し合おう
(以心伝心に任せない)

以上から、
 1. 生じた怒りの感情の中に、陥るな
 2. そしてその怒りの感情に、囚われるな
 3. そのためには、感情や自分自身を俯瞰せよ
 4. そして受け止め方をポジティブに転換せよ
ということになるのではないだろうか。

まずは落ち着き、その後考え方を切り替えてみるということである。至極ごもっともである。

「怒り心頭」の真っ只中にいるときは、そのことに意識が100%囚われてしまい、他のことを考える余裕がなくなってしまう。その怒りの出来事自体が、まるで自分の人生の最重要課題でもあるかのようになってしまうのである。
だが実際はそんなことはない。自分の生きるという行為の中で、その出来事が占める割合は、何パーセントもないのであるから。

2. 怒りの原因

対処法を先に書いたが、それでは怒りの「原因」は何だろうか。こちらも本書から抜粋してみる。
● 睡眠不足
● 運動不足
● 栄養不足
● 勉強不足
● 自分の言うことを聞いてくれない
(コントロール欲求が満たされない)
● 自分のことを認めてくれない
(承認欲求が満たされない)
● 自分が大切にされない
(愛されたい欲求が満たされない)
● 完全・完璧を求めているが、満足されない
(目標が満たされない)
● 大切なものを失い、それを埋められない
(充実感がない)
● 自分の考え・思い込みに囚われる
(俯瞰できない)

これらは「何かが不足している」あるいは「何かが満たされない」という感じである。つまり「不足」⇒「フラストレーション」⇒「怒り」と進むわけだ。さらに「不足」の対象は「他者」であったり「自分自身」であったりする。
 1. 他者への不足 ⇒ 苛立ち ⇒ 怒り
 2. 自分への不足 ⇒ 苛立ち ⇒ 怒り

そして「不足」ということは、その前に何らかの「期待」や「要求」がある。そう、私たちは他人や自分に対し、何かを求めているのだ。
それが諸悪の根源なのではないかと感じるのだ。

3. 自分の経験

私も以前よく怒っていた。子供たちがまだ高校生の頃だったろうか、片親となる子供たちに不自由させてはならないし、真っ当な人間に育てなければならないと、私なりに懸命に頑張っていた。それに良い親として、他者からもそう評価されたかったのだと思う。だから「ああしろ」「こうしろ」「何でできない」とよく怒っていた。もちろん、怒った後は「また怒ってしまった」と後悔していた。

夕食の片付けで、自分の食器は自分で洗うようにしつこく言っていた時期がある。もちろん彼女たちは中々実行しない。それでよく怒っていた。そんなある日、自分の食器を洗いながら、ふと「まぁ、いいか」と思ったことがあった。それからだ。あまり怒らなくなったのは。なぜ、その時そう思ったのか。その心境は今でもよく覚えている。

「彼女たちが大人になって一人暮らしや結婚をしたら、嫌でも自分たちの食器を洗わざるを得なくなる。今から無理して食器洗いをさせなくても、良いではないか。こうして私が彼女たちのために、食器を洗ってやれるのも、何年もないのだから。」と思ったのだ。それからは、最も嫌な食器洗いですら、楽しくなった

自分が怒らなくなったこの考え方は、ちょっとネガティブな表現ではあるが、「諦める」とか「期待しない」ということかもしれない。このように表現すると、身も蓋もない言い方で誤解を与えそうであるが、私の真意は次の通りだ。

怒り心頭している最中は、そのことで頭が一杯だ。「私のこの大きな期待を、どうしてあなたはことごとく裏切ってくれるのか」と。だが前述した通り、自分が生きているこの世界の様々な出来事の中で、この期待した事象など、ほんの数パーセントの出来事である。そのように考えると「期待しない」とは言わないまでも「わずかな期待」でしかないはずだ。そのようなことに、目くじらを立て怒っても、エネルギーの無駄遣いだ。そう考えると、少しも怒る気がしないではないか。まして、この「わずかな期待」が万が一叶えられたなら、相手に感謝するほどの喜びになると思うのである。

4. 余白の必要性

私たちは、「ああしてくれない」「こうしてくれない」「なんでわかってくれない」と他者に求めてしまう。そして、希望 → 期待 → 願望 → 要求 → 必達 → 義務 → 責務へとどんどんエスカレートし、それが叶えられないと「怒り」を生じさせてしまう。
自分自身にすら「~しなければならない」と思い込んでいる。だが、その思い込みの根源には「他者からこう評価されたい」などの、なんともいやらしい願望があるのだ。

もっと肩の力を抜き「そんなこともあるさ」「そんな奴もいるさ」「そんなときもあるさ」と受け止め、少し俯瞰した所から、余白のある人生を意識して生きることが重要なのではないかと思う。

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