誓い

母の誕生日だ。50さいになる。半世紀だ、すごく長い。

手紙を贈った。母が好きだと言っていたかすみ草のポストカード。裏面を小さな文字でいっぱいに埋め尽くした。

この日のために、数日前からちゃくちゃくと準備をしてきた。お祝いの言葉、日々の感謝、労い、おもいで、伝えたいことをすべて文字にして贈りたかった。そうするにはあまりにもポストカードが小さかったし、持っている言葉の数が少なかった。言葉にならないとはこのことだ。涙だけがどんどん流れる。けれど、私の言葉で、今の気持ちを精一杯書き綴った。

大学進学を機に家を出た。一日三食、掃除と洗濯、授業、アルバイト、課題。これが全てできた日など殆どない。思っている以上に暮らしてゆくことは大変だった。

となりの赤ん坊の泣き声が聞こえる。毎日泣いている。一度泣いたらなかなか泣き止まない。こちらが泣きそうになるほどに。リコーダーの音が聞こえる。きっと小学生が音楽の宿題をやっているんだろう。同じ曲、同じ音、何度も聞こえる。その音が聞こえなくなってもなお頭に染み付いて、何をするにも頭の中で流れるほどに。私はイアフォンをつけて音楽やラジオを聞く。喧騒から逃げる。そうして自分の世界に没頭する。

私もきっと赤ん坊のころは泣き叫んだ夜があったはずだ。リコーダーやハーモニカをなんどもなんども弾いて聞かせたことがあった。母は逃げない。それどころか上手くなったと褒めるのだ。そうしてまた得意げになった私が演奏する同じ曲を笑顔で聞く。母は決して逃げなかった。逃げるどころか迎え入れた。

昨日はこどもの日だった。テーブルにはお寿司とジュースが並ぶ。ケーキまで作るらしい。私は21だ。世間ではどうやら大人みたいだ。けれど母は三年前と同じように嬉しそうに料理を並べ、三年前と同じように嬉しそうに思い出話する。何年経っても、私は父と母のこどもだった。

うれしい。21年間ずっと愛を注いでくれたこと。どんなことがあっても帰る場所は必ずあると思わせてくれること。どんなことをしても返せる恩ではない。

だから、せめて母が望むように、

正しく、美しく、健やかに生きる。

もう一度、誓う。

私にとって五月六日は、いらぬ心配や不安を空にして、信じるようにまっすぐ生きてゆくと、母に、自分に、もう一度誓う。そういう日だ。

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