人生はわからないもの
病気をして、あれだけ「もう人を好きになることはない」と心に誓いました。でもまた誰かを好きになった。
病気をする前は、どこか自分に嘘をついていた部分がありました。「もっとこうしなければならない」「もっとこうあるべき」という自分に縛られて、なかなか自分というものを出せなかった。
だから、好きなことだけして、呑気に暮らして行こうと思った。
先日、会社の先輩と話をしました。まぁ仕事の休憩中の世間話なんですが。
「今、幾つになったんだっけ?」
「36歳です」
「そっかぁ、36歳か。俺らもういい年だよなぁ」
「そうっすね」
その先輩も自分と同じ独身貴族を謳歌している。
「結婚とかって考えたことある?」
と、ふいに聞かれました。
「え、先輩結婚するんですか?」
「いや、違うんだけどさ。というか、結婚はもうできなくない?俺ら」
「え…?」
僕は一瞬時が止まりました。
「30代も後半になって、彼女もいない。そんな人生にもう意味なんてないのかなぁって、最近思うんだよな」
先輩は僕に彼女がいることを知りません。でも急に自分の人生を考えてしまった。これからの人生はどうなるのだろう?自分が思い描いているような未来が手に入るのだろうか?
30代も後半になってくると、これからの人生の残り時間を考えるようになります。病気をした時点で「あ、人生ってカウントダウンなんだな」と悟った自分にとって、特に珍しい思考ではなかったのですが、自分以外のところからそういった話が出ると、改めてそのことについて考えてしまう。
そのときにドキッとしたのはなんでなんだろう?と思った。心のどこかで思い描いている未来が手に入らないかもしれないと考えているからだろうな、というのはわかりました。不安なのです。自分の人生が。
「俺はもう結婚は諦めた」
そう、先輩は続けました。僕は必死に
「そんなことないっすよ。人生はこれからです」と伝えた。
後になって、あの先輩との話は、きっと改めて自分の人生を考える「きっかけ」を与えてもらったんだろうな、と思った。
それは当然「一緒になりたいと思っている人との未来」についてです。
正直、最近あまり彼女とは未来の話をしていません。なかなか会って話をすることができないし、メールでなんとなくそんな話題を投げても、上手にスルーされているような感じを見受けます。そこで深追いしても、きっと良い結果は生まれないだろうな、と感覚的に思っているのでした。
一度「俺とのこと、どう考えている?」と勢いで送ってしまったことがあった。
彼女からは「まだちゃんとした返事はできない」というものでした。
うまく行っていたと思った関係が「あれ?」となる。自分がこういう返事が来たらいいなという幻想は、一瞬で崩れ落ちたのでした。これが現実。
僕は星野源さんが好きなのですが、星野さんの曲で「ばらばら」というものがあります。
世界は一つじゃないし、元々ばらばらなんだ。僕らは一つになれない。という内容の歌詞があって、この曲を何度も聴きながら落ち込みました。
結局、いろんなことを考えているのは自分だけなんじゃないか。結局違う道に進むしかないのか。そんなことをぐるぐる考えてしまうのです。
こういうとき、すぐに相談できるような相手がいるといいなぁと思ってしまう。だけどさらに現実は残酷で、僕は友達が少ない。だからこういうことをすぐに相談できるような相手もいない。余計に孤独になってしまう。
世の中の人たちは一体どうやってこの感情をやり過ごしているのだろう、といつも思う。こんなことでぐるぐる悩んでいるのは自分だけなんじゃないか。
世の中にはもっと毎日の生活が精一杯で、こんなことを考えるのは「贅沢だ」という考えもあるかもしれない。
後になって思い返してみれば、という悩みは人生の中でとてもたくさんあります。
だからこそ「今の自分が思うこと」に正直になるしか、今の状況を抜け出す解決策はないのだろうなと思います。
そう、解決策は、頭の中でなんとなく理解しているのです。でもそれが思うようにいかない。そのことにさらにモヤモヤする。
ぐるぐる考えているうちに夜が過ぎ、朝になる。
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