見出し画像

お金と人生の価値

また連休が取れたので、実家に帰ってきました。

今回はゆっくりする時間が取れ、両親とたくさんの話をすることができました。その中で、週末を使って両親は「祖父、祖母」が住んでいた家のメンテナンスに行ってくる、という話をしていました。

その家は父親の出身である静岡にあります。数年前に、祖母が亡くなってからは、たまに両親が掃除に行くくらいのことしかできてない現状があります。父親の中では「すぐに売るのもなぁ」という部分と、やっぱり思い入れがある部分があるらしく、すぐには手放すという決心ができないようでした。

税金だってかかるし、いつまでも管理できるわけではないので、いつかは手放すわけです。本人も言っていたし。でもやっぱり家中をチェックして、少しずつでも思い出の品を手元に残しておきたいというのがあるそうなんです。

まだ今はその途中にいる。「お前、いる?」と言われましたが、解体してもう一回建て直してということと、違う土地で新しく生活を始めることを想像したら「うーん」となります。

考えたことはあるんです。この家を自分がもらって、建て直して生活していくことを。でも都市部なのでものすごく狭いんです。庭と呼べるようなものはないし、正直実家と比べてしまうと、本当に「住むだけ」という気がしてしまう。その代わり、車が無くても生活していけるだけの利便性があります。

結局のところ、考えるのはその土地で自分が暮らしたいかにかかっています。どういう未来を思い描いて、どうしていきたいかというのがビジョンとしてあるか。それだけの話なんですがね。

仕事がとても辛かった時期(辞めようと毎日思っていた)にはそういうことを考えました。誰も自分を知らない土地で、一から人生をやり直したいって。

失うものはなにもない。そう思っている自分がいました。

この家を処分すると、我が家の歴史の一部分と、静岡という土地が切り離されることになります。一層この土地を訪れることは減り、いつしか「行ったことのある人だけ」の思い出になっていきます。

最近、年を取ってきたせいかw以前よりも深くまで具体的に人生のことを考えるようになりました。

自分がこの先どうやって生きていきたいのか。どうなりたいのかに、自分の人生はかかっています。むしろそれだけです。

そのために、今自分に何ができるのか。何をするべきなのか。

そして実行する。

それだけ。以上。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?