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あなたには裏と表がありますね

人間の性格的な二面性について思うことを語ります。

最近、僕は「君の2面性はどちらが本当の君かわからない」と言われました。僕は自分に2面性があることなんて気づいていませんので、一体何を言っているのか本当にわからなかった。それを言われてむしろ「日本語で喋ってくれ」くらいのことを思っていた。

よく血液型がAB型の人は二重人格とか言われます。でもAB型の人って世の中で考えるような自分でもコントロールできない瞬間で別の人格が出ちゃうとかではなく、「二面性」があることを誰かが都合よく「二重人格で」とか流布しただけなように思うんです。そしてAB型の人は二面性があるといわれることを、自分は特別である、と感じて喜んでいるようにも感じます。つまり、それって二面性がある自分を演じているだけか、ただ感情のコンロールができないだけなんですよね。(AB型の方、すみません)

僕が言われたのは突然でした。そもそも僕は自分に二面性があるなんて思っていません。その時に考えていることなんて、仕事で疲れたとか、どっか行きたい!みたいなハッピーな気持ちでどんどん変わっていくものじゃないですか。日本なんてあれほど凄惨な戦争をけしかけといて、終わった瞬間アメリカ万歳!に変化したんですから。二面性の最たるものですよね。その瞬間それを受け入れることを強要された人は狼狽えるわけです。昨日まではああ言ってたのに…という具合で。言っていることに一貫性がない

むしろ裏と表の二面性なんて、全ての人類にあるべき素質ではないでしょうか?と思うのです。

例えば、母親。子供の頃、さっきまであんなに怒り散らしていたくせに、電話がかかってきたら、何事もなかったかのように「もしもし〜?」なんて言ってるんです。そのギャップが怒り散らしているときよりも怖くて「なんだこの人は」と思っていました。この時の母親というのは、子供(僕)に対する怒りと、かかってきた電話に対する対応で全く違う自分を印象付けている、二面性のある状態だと言えます。でもこれは二重人格のような疾患として考えられているようなものではなく、自分のことを二面性を持って演出しているわけですね。立場によって自分の考え方や態度なんていかようにも変化していくものなのです。

接客業もそうでしょう。バックヤードで「あの人はが嫌だ、この仕事が嫌だ」なんて話をしてる数秒後には「いらっしゃいませ〜」なんて言っている。これも二面性。

もうひとつ。昨日は優しかったのに、今日はめっちゃぶっきらぼうだ。これも二面性。

二面性の定義というのは「裏と表」という善と悪みたいな言い方をされがちです。基本的に人間て面倒くさがりで、わがままな生き物です。でもその自分では社会の中でやっていけないから「社会がこうあるべきと言っている人間」を演じている人がほとんどです。心の奥底から社会が定義する「良い人」なんて存在してないんです。いや、存在はしてるのかもしれませんが、そんな人に出会うのは宝くじで億単位の当選をするのと同じくらい低い確率であることも事実です。あと先ほど書いたことと似ているのですが、もう一つ言えば、そのときの立場や感情や解釈によって「良い人」という定義はころころ変化していくものだとも思っています。だから生きている全ての人に二面性があるというのが事実であると考えるんですね。

一貫性が無い、という主張もあるでしょう。人として信頼できない、という声もあるでしょう。しかし人間の持つ一貫性なんて「弱者を助ける」とか「社会に貢献する」みたいな大きいくくりで良いと思うんです。「あなたにはどんな一貫性がありますか?」と聞かれて答えられる人なんてほぼいないんです。自分ではこう思っていても、上司からの命令で一貫性のない指示を部下にしている人だってたくさんいるでしょう。部下は「さっきまで言ってたことと全然違うじゃん」と思いながら仕事をしてくれるわけです。これを一貫性がないと槍を突き刺すのか。「いや、自分はこう思うんで」と上司の命令に盾ついてばかりの人のことを「一貫性があって良いね」という評価をするのか。

少なくともこの国では「めんどくさいやつ」という評価が先行しますよね。

MLBの大谷選手を見てても思うんですが、真剣にインタビューを受けているかと思えば、僕の中ではちょっとやりすぎじゃない?と思ってしまうようなイタズラを放送されることもあるんですよね。それが自分の意思でやっていることなのか、それとも「コミュニケーション」として周りからひょうきんなやつと見られるためにやっていることなのかわかりません。ひとつだけ言えることは「楽しく野球をするためだったら、どんな自分にもなる」ということです。野球選手として評価されたいという部分には一貫性があります。その中であっちに行ったり、こっちに行ったりその時の自分にとって何が最善の選択なのかを考えるわけです。

人間の持つ、ほとんどの裏表というのはこんな感じのことでは無いかと思っています。よく言われる「あの人は裏表がある」という部分には「会う人によってそこにいない人の評価や態度が変化する(悪くなっている)」という意味があります。つまり、そこにいない人の悪口を言ってる人のことを「裏表がある」と言っているという定義です。

良い人と思われたいから、分かりやすい良い人でいる。本当の自分を見せても良いと思うからぶっきらぼうになる。大体の場合、本当の自分というのはめんどくさがりで、ぶっきらぼうで、愛想がありません。

目の前の人に「裏表がある」もしくは「二面性がある」という判断をするのは、自分ではなく「相手である」ということを僕たちはよく理解しておくべきであると考えます。「あの人がこう言っているから」という話は余程のことがない限り輪郭に過ぎない情報で、その輪郭の中にある確信を伝えるための情報としては信憑性に大きく欠けるものだと考えます。もちろんたくさんの人から一貫して「あの人はダメだ」と言われてしまう人もいます。たくさんの人から手放しで「良い人だ!」と絶賛される人もいます。極めて稀ですが。

結局のところ自分で判断をするしかないのです。表情や言葉遣い、動きなどの情報から僕たちは目の前にいる人のことを判断します。「自分にとって良い人か」という判断をする場合、その精度を高めるためには自分の直感をどれくらい信じることができるか。そしてどれだけたくさんの人に会ってきたかや、どれだけたくさんの失敗や嫌な気持ちになってきたか、という経験によるものがとても大きい。

その経験が、自分が本当に見極めなければならないパートナーなどの人間性の判断に役立つ日が来るのです。

だから、たくさんの人に会いましょう。いろんな価値観の人に会いましょう。それでも分からなかったら、今の世の中の「常識」や「平均」をしっかりと理解するバランスを持ち、天秤にかけて判断しましょう。世の中にはいろんな人がいる。その中には一定数、自分にとって不都合しか生まない人もいる。相手を変えることは、自分を変えるよりも何倍ものエネルギーを必要とします。移り変わりの激しい世の中で、他人を変えることに割く時間はありません。

より良い人生を作るためにわがままになってけば良い。それでも分からないんだったら、自分を理解してない証拠なので、まずは自分自身の心が何を期待しているのか、求めているのか理解することから始めましょう。

人間関係に僕もたくさん悩んできましたが、確信としては「人なんて簡単に変わらない」ということです。嫌な人は嫌、好きな人は好き。それだけ。悩む人って、知らず知らずのうちに作られた、自分の求める数十とか数百の項目に一つ一つ点数をつけて綺麗なグラフを完成させようとしている。会うたびに違うチェック項目が発生し、しかもその項目の満点が100点とかで、各項目の赤点も合格点も全部違っている。そしてここが1点少ないからどうしよう、とかどうしようもないことを本気で悩んでいる。

永遠にグラフなんて完成しない。

少し嫌なことがあって3点減ったら異常事態。この人は何を考えてるんだ?と悩む。何も決められないし、何も決まらない。前はこの状況のときは、こういうことは言ってなかったのにとか、同じ状況の前例の記憶を引っ張り出してきて、何回も再生する。そういう点数をつけるために残しておいた記憶だけははっきりしている。でもその記憶も自分にとって都合よく書き換えられているものばかりなので、もはや利用価値もない。それは相手のことを正しく判断するための材料にすらなってない。

はっきり言ってしまえば「そういうゴミみたいな情報を一生懸命タンスにしまって「いつか着よう」と満足している人がすごく多い」ということです。だから悩む。

人間関係で悩まないコツは、心のグラフを五角形くらいにしてそれを10点満点にすると良いでしょう。5点以上は合格。それで作れば良いんです。1点の重みが違うので悩んでいるポイントがはっきりしてきます。不合格になって利害関係がない人なら、バッサリ関係を切りましょう。

きっと僕は心の寂しい人間なんだと思います。病気になったり、傷ついた経験がとても自分の中で大きいので、誰かを変えようともしない。離れていく人を繋ぎ止めようともしません。人間関係に執着すると疲れるタイプです。そこにエネルギーを注ぐなら、自分の楽しいと思えることに最大限時間を使って生きていきたい。

ただそれだけ。

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