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2023年7-9月に読んだ本


吉里吉里人 / 井上ひさし

今後どこかで誰かに「好きな本は?」と聞かれたら、真っ先に「吉里吉里人」と答えようと思う。全編を貫くユーモアとアイロニーと社会風刺。深い問題提起を含みながら、常に笑いとエロとナンセンスで軽やかに包んでいて、どこを切り取っても甘さと苦さが同居しているような味わいの小説だった。井上ひさしの名言「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」を完璧に体現している。1981年刊行なので、刊行後40年以上が経過しているけど、いまなお新しい。時代を超えたタイムレスな傑作。

告白 / 町田康

850ページの超長編。非常に長いが、目を離せない展開にページを繰るのを止めることが出来ず、一気に読めてしまう。町田康独特の凄みのある文体に、主人公たちの話す河内弁が加わることで、渦を巻いて燃え上がるような勢いとなって話が進んでいく。1893年に実際に起きた「河内十人斬り」という殺人事件がモチーフとなっているため、小説の後半も殺人のシーンとなる。その残酷な事件描写にも関わらず、小説が作品として余りの高みへ達していることに感動して思わず涙がでた。朝日新聞による「平成の30冊」という企画で、村上春樹の「1Q84」、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」に次いで、第3位が本書とのこと。納得。

個人的な体験 / 大江健三郎

小説という形式ではあるものの、何が書かれているのかさっぱり分からずに何度も中断しながら、1年くらいかけてなんとか読み終えた1冊。何がそんなに分からないのかというと、客観的な情報が一切ないことだと思う。小説冒頭の本屋、物語の中核となる病院、女のアパートメントなど、小説に出てくる場所や空間が、どのようにしてそこに在るのかといった描写が全くなく、頭の中で小説の舞台となる場の輪郭が描けないようになっている。そのため、悪夢のような霧の中に迷い込んでしまったような読書体験が、最初から最後まで続く。そういう意味ではカフカの小説のようだと思った。

読み終えた後に、一体なんでここまで読み手の理解を阻むような小説を書くのか……と表紙を眺めていてはっとした。この小説「個人的な体験」というタイトルの小説だった。徹頭徹尾「個人的な体験」を描くことに振り切ったからこそ、情景描写も説明のための客観的な視点もすべて周到に取り除かれていたのか。それに気づいて全身に鳥肌がたった。ノーベル文学賞の受賞者の作品に対してあんまり適当な感想じゃないけど「なんてすごいことをやってるんだ」と震えた。

ダダダダ菜園記・こぐこぐ自転車 / 伊藤礼

軽みの極みのような文章と生き方。色々なことに好奇心を持ち、実践を通して世界の手触りを確かめている。将来こんな大人になりたい。芥川喜好さんが「ダダダダ菜園記」の書評をこう締めくくっている。

この菜園記の主人は、人を笑わせようなどとは考えもせず、ただ自らの成すべきことに突進します。高所に立たず、偉ぶらず、地を這うような視線で、人が目もくれぬ命の細部に、世界の質感に、触れようとしている。その真摯な姿から、むしろ笑いはじんわりと、やがてふつふつと、湧いてくるのです。

 「時の余白に」芥川喜好

時間をかけて沸点をあげた「おかしさ」というのは冷めにくく、そのおかしさがずっと体温の一部として身体に残り続けるような良書だった。

福岡伸一、西田哲学を読む / 福岡伸一、池田善昭

「日本一難しい哲学書」とも言われる、西田幾多郎の哲学の一端に触れる。福岡伸一さんの頭脳明晰さが際立っていて、ものすごく頭の良い人が「分からない物事」に対して、どのように分かるまでのプロセスを積み上げていくのかを追体験できるという刺激的な読書体験だった。科学者らしく、様々な角度から反証を重ねていく根気強い思考態度がかっこいい。

そして西田哲学が「日本一難しい」と言われてしまうのは「西田におけるこの用語は本来の意味とは違って〜〜」というような、オリジナルな言葉使いが乱用されているからであって、哲学そのものが難解というよりも、書かれている言葉そのものが難関(というか理解不可能)だからということが良く分かった。京都へ行ったら「哲学の道」を歩いてみたい。

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