[歌詞考]Champagne Supernova / Oasis
※個人の解釈、感想です。
原曲
歌詞
原文
日本語訳(ざっくり)
解釈
前提として
作詞したノエル・ギャラガーは、「この歌詞の一部はクスリをやっているときに書いた」と公言していて、また「Champagne Supernova」という言葉についても、なんかの聞き間違いだかであんまり意味のある言葉を選んだということではないと言っているらしい。ただ別のインタビューでは「ライブで演奏すると何万人ものオーディエンスが大合唱することもあって、そこには一人一人が持つなんらかの意味や意志があると思う」みたいな、うまく煙に巻いたようなことを言っているっぽい。
ちなみに「シャンペン・スーパーノヴァ」という名前のカクテルは実在していて、麻薬を混ぜ込むものらしい。
考察
冒頭の2行の疑問文は、特別なものと普通のものを比較して混ぜるような内容と思っている。
深く調査していないけれど、この曲がレコーディングされたのが1995年で、その前年にバンドのデビューアルバム「Definitely Maybe」が発売されていて、初登場でチャート1位を獲得している。その背景から、急に売れたことで友達や家族に才能がどうとかスターになったとか言われたのかもなと想像している。
つまり、特別っぽい存在になったからって、そいつの人間性まで変わるもんか?そもそも生命というのは等しく特別ではないか?みたいな哲学を、クスリをやりながら考えていたのかもしれない。
そして、エンディングまで繰り返される「Where were you ~」の行が初出。
要はパーティでクスリやってて自分らが騒いでる間どこにいたんだよ?ということですが、クスリパーティがアレだったらアホのフリーターが路上で飲み会をやっていると置き換えてください。
この行、たとえば「パーティにいてほしい人がいなかった」という寂しい感情を書いているとも思えるけど、さっきの2行が上の通りの解釈だとすると、「俺たちがバカみたいに騒いでる間、お前はお前の人生をやってたろ?」と捉えられなくもない。
その次「Slowly walking ~」と「Faster than ~」という、両方をマジメに受け取ると意味の通らない2行は、酒やクスリで意識が半分ないような感覚を表現しているような気がする。自分が酒に酔って酩酊した帰りとかも、めっちゃサクサク歩いているつもりなのに駅から家までの一本道がやたら長く感じる時あるし。
つまり、Faster than~が自分が感じている視点で、Slowly walking ~は側から見れば牛歩ということかなと。「俺はめちゃくちゃ頑張って駆け抜けているつもりだけど、そのスピードは他の人に比べれば廊下をゆっくり歩いているだけ」。そんな俺らがハイになっている間、お前はどこにいたんだ?
歌詞そのものから離れて、オアシス(ノエル・ギャラガー)のことを思うと。
ギャラガー兄弟ってイギリスの工業都市マンチェスター出身で、同じく工業都市のリヴァプールから世界的ヒットを飛ばしたビートルズに憧れてミュージシャンになったという経緯があるのは有名な話だと思う。
ところが工業都市というか、そこに息づく労働者階級の人々って、たとえばかつての日本だと「フラガール」とかで描かれているように「人々の地元愛がすごい」「家族の意識が町ぐるみレベル」みたいなイメージがある。もしマンチェスターという町もそんな感じの風土だったとしたら、工場や炭鉱夫でなくバンドをやっている若者なんて真っ当な大人から見れば「働かないバカ」に見えると思う。
ノエルとしてもそうした目で見られていたこともあったかも知れないし、ノエル自身、自分のバンドのアルバムが全英でチャート1位を記録したといっても「"普通"は堅実に、地元で働いて所帯を持つもんだよな」という価値観にさらされて生きてきたがために、そことミュージシャンという不安定な職業との乖離に悩んだ時期だったのかも知れない。まあミュージシャンっていつもそんな不安と闘っているので、バッド入ったらこういう歌詞書きがち。
そしてコーラスになる。あくまでクスリやりながら書いた歌で意味はない、とのことだけど、先の解釈が正しければ繋がってくる部分がある。
まず「君が土砂崩れの中から俺を見つけるだろう」っていう部分からして、自分の未来を不安視していることがうかがえる。「landslide(土砂崩れ、あるいは地滑り)」という、抗えない大きな力によって自分は押し流されてしまって、今の音楽をやっていればいい生活なんて無くなってしまうんじゃないか。その時は助けてほしいと、そういう気持ちに捉えられると思う。
「Champagne Supernova in the sky」は、前述した通りクスリ入りのカクテルなので、ロックバンドやって、なんか売れて、パーティーやって有頂天な自分の状況の比喩かなと考えられる。
あるいは、ビートルズへのリスペクトから「in the sky」とかノリで言った説もある(「Lucy in the sky with diamonds」という曲がある)が、ここはおまけ程度の認識でいいと思う。
2番に入って夜明けのシーンになる。
ここの「her」と次の行の「she」は同じ人ではない気がするけど、一言で言えば、やはり「永遠なんてないのにな」という訴えがそこにあると思う。
そしてこの次の行が想像を掻き立てる部分。「君の目から涙を拭う」という動作だけが書かれているけど、この涙がたとえば「悲しくて泣いている女の子の涙」なのか「ただ眠くてあくびから出た涙」なのかによって、この曲の解釈は大きく変わってくると思う。
前者だったら今までの解釈全部なくなるから笑、そっちの方は一旦置いといて、ここは「朝までパーティーしてて夜明けにいきなり難しい話するから眠くてあくびして涙が出た」と捉えていく。
そこからあとはヴァーズの後半〜コーラスまで同じメロディ・歌詞をやったあと、この曲の一番昂るところにやってくる。
「夏の間はどこかに行けばいい」というのは、たぶんイギリスの国民性?風習?を知らないと正確にイメージすることは難しいけど、おそらく夏休みのヒマな感じがあるのかなと。いわゆるブルジョワ階級の人とかは適当に旅行とかいくんだろうけど、自分たち労働者階級出身としてはそうはいかなくて……という部分だと思う。
そして「俺たちはここで生きて死ぬ」というフレーズ。やっぱり根幹としては地元の窮屈な世界観から抜け出せていなくて、テレビの向こうで世界がどんな風になっているのか知る由もないまま、夜と朝を繰り返すだけなんだということを端的に書いている。
閉鎖的であんまり希望がないような内容かと思われるが、実際そうではないと思う。そこには、将来への不安も大きくあるけど、まだ自分たちはミュージシャンとして世界を股にかけたアーティストになっていく可能性があるんじゃないかと、そういうわずかだけど壮大な夢とか希望も見出そうとしているという印象を受ける。
自らが見ている世界を大きくして、変えていきたい。小さな町の労働者階級の人間から生まれ変わりたい。そこにsupernova(超新星爆発。星が寿命を迎えるときに強く光を放つ現象)が起きるイメージで。
その爆発のイメージを表現するかのような分厚いギターのバンドサウンドとリアムの歌声。一通り過ぎたら、また落ち着いたビートに戻るが、エンディングまで響き続けるフィードバックが、超新星の輝く光が遠く宇宙のどこまでも届きうることを表しているようにも思う。光を見届け終わったと思われるところまでギターのサウンドは伸びて曲が終わる。
2番のヴァーズで拭われた涙が「悲しくて泣いている女の子の涙」だった場合。これは、歌詞の視点人物(I)とその女の子(you)とはまた別に、共通の友人がいて、そいつもドラッグパーティーなんかをする仲だったけれども、いきなり今生の別れを演じることになった(簡単にいうと亡くした)可能性が浮かんでくる。というか、自分は当初そう考えていた。
特別も普通もなく、生命は平等に終わる。パーティーに来なかったのは、事故か何かで死んでしまったから。最後にその部分を繰り返すのは、その時の後悔がずっと残っているから。
いつか自分が死んだとき、君が土の中から俺を見つける。シャンペン・スーパーノヴァでも飲みながら(しかも「in the sky」)。
忘れたければ夏の行楽シーズンで遊べばいいと言われる、が、俺たちはここ(地球・世界)で死という運命からは逃れられない。など。
かなり端折ったけど、ふんわり理解するならこっちでもいけるなという感じ。
終わりに
こんな感じで自分としての解釈は終わりです。日本語に訳す時点で怪しいのにその解釈まで書いていったら眉唾もいいところですが、壮大な曲っぽく聞こえるけど、実は身近な人間関係における心境のことが描かれているのは間違いないと思います。これを何万人かの聴衆の前で披露して、みんなで歌う、というのは、こうやって考えると違うかも。
ここまで考えた上でも、結局真意は分からないですけども。
歌詞、すなわちメロディー付きの言葉って、曲を聴いて自分のことに当てはめることで初めて伝わるものがあるから、正直深い理解という意味ではからっきしダメだろうなとも思う。でも、歌詞をより味わうための方法は知ってる。って感じで、今日はお送りしました。
最近は歌詞が書けてないので、こういう活動で思ったことをうまく歌にできたらな〜と思ったりしてます。
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