2重らせんの話
DNAの2重らせん構造が解明されて,ノーベル賞を受賞したのは1962年のことです.受賞者の一人ワトソン博士は,後に本(二重らせん,講談社文庫(1986))を出版し話題になりました.
もう旧聞に属しますが,今回はこの二重らせんがテーマです.
カバーのDNAの図はlivedoorblog美惑星フィロソフィアからお借りしました.このブログの主は存じ上げませんが,SARS,MERSが同定されてまもないころ(2015年6月)に,コロナ・ウイルスは,一本鎖のRNAリボ核酸でアビガンか効きであることに言及されています.
DNAの2重らせんの話がしたくなりました.
■Rosalind Franklin,ロザリンドは,ロンドン大学のキングス・カレッジに職を得て,X線結晶学者としてDNA結晶の構造解析を行っていた.DNAには水分含量の差によって2タイプ(A型とB型)があることを明らかにし,それらを別々に結晶化し,X線回折写真撮影に成功した(1952年).X線構造解析では単結晶をつくることがとても大事で,難しい仕事です.物質によっては方法をいろいろ変えてもどうしても結晶が育たない(微細な沈殿になってしまう)ので,私もずいぶん苦労し断念したことがあります.
撮影したX線回折写真を見れば,X線結晶学者なら,らせん構造があることはすぐわかります.らせんのピッチや周期はすぐ計算できます.
しかし,彼女のまとめた非公開研究データのレポートは,予算権限を持つクリックの指導教官のマックス・ペルーツが入手し,クリックの手に渡ってしまいます.一方,ウイルキンス(彼女が赴任する前からDNAの研究をしていた)は,ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所のワトソンとクリックに彼女の撮影した写真を内緒で見せてしまいます.
ワトソンは,複製の能力のあるDNAのモデルを考えていたので,彼女の写真を見て2重らせん構造モデルを確信します.
■ワトソン,クリックの論文は,Nature(1953.4.25)に掲載されます.同じ号に,ロザリンド・フランクリンらの論文,ウイルキンスらの論文を,同号に同時掲載の体裁(合わせて3篇)をとっています.
ワトソン,クリック,ウイルキンスがノーベル賞を受賞したとき(1962),
フランクリンはその4年前に37歳で亡くなっています.
■X線構造解析の定石は,回折像の逆Fourier計算し,DNAの詳しい構造を見つけることです.ロザリンドの時代にはコンピュータはなく,Fourier合成の計算は,数表Beevers-Lipson短冊を用いて行う手計算(多分機械式のタイガー計算機でしょう)でありました.また,試料たんぱく質の結晶化も不十分で,回折像のスポットもぼんやりしている写真しか撮影できませんでした.
良い結晶を作製して,X線自動回折系で6,000個もの反射スポットを得て,コンピュータで計算し精密な構造を得るのは1981年になってからです.