見出し画像

思考力ヲ用イザレバ,活用スルコトアタワザルナリ

■物事の理解は,自分が身に着けている内容を介してなされます.従って,自分が身に着けている内容(これを私は感性と呼ぶことにしましょう)との反応ですから,どんなにすばらしいことを聞いたり読んだりしても共感を呼ばぬこともあります.自分の周囲に実在するものを,自分の内部に取り入れて初めて実存となり自分のものとなります.同じ外界の事物を見聞きしても,感じ方は人により様々です.例えば,同じ話を聞いても,同じ映画を見ても,感じ方は様々です.各人各人の感性を介して取り入れたものがどのようなものでもあっても,自分で理解し身に着けたものは,きっと役に立ちます.数学についても同様で,何がわかり身に着けるかは人さまざまですが,それがどんな些細なものであっても,身に着いたものはきっと役に立ちます.あせってはダメです.世の中,不思議でわからないことばかりですからね.宮沢賢治が「自分の中に小宇宙を」といっているのは,取り入れたいろいろな分野の知識を自分で理解し再構築することでしょう.高橋是清翁も「思考力ヲ用イザレバ,活用スルコトアタワザルナリ」と言っています.

■「世界ハ大学校ナリ。良ク注意観察スル時ハ、事々物々、何モノカ学問トナラザラム。学問ノ成否ハ、専ラ学ブ人ニ属スベキナリ。」高橋是清
---全く同感,勉強は自分でするものであります.
「思考力ヲ用イザレバ、実際ニ活用スルコト能ハザルナリ。」高橋是清
---丸暗記は無駄なことです.
自分の感性で理解し身に着いたもの(人さまざま)でなければ役に立ちません.そのためには,聞いた知識を自分の頭で考え,自分なりに再構築しましょう.その理解には数式は要らないかもしれません.大胆なアナロジーでも良いのです.
例えば,落語の“死神”を聞いて,物質を構成する原子のスピンの向きを揃えると,物質の温度が下がらずを得なくなる“断熱消磁“*注1)という物理現象を思い浮べます.黒板いっぱいに数式を1時間も書き続けた挙句,「こうなります」という講義では主題が見失なわれがちです.「本質は,”死神“*注2)と同じだ」の一言で内容は把握できます.まず骨組みを押さえながら,数式の肉付けをします.古今亭志ん生が一言吐く台詞は実に上手い.余分な“くすぐり”を入れて返って主題をぼかしてしまう浅知恵の噺家とは違います.それは,志ん生がこの話の眼目は何か,この場面の人物の心は何か,的確に把握しているからです.

科学の異なる分野の現象が,同じ数学形式であることはしばしば見受けられます.数学は,現象の本質を抽象化し記述する武器です.森羅万象にアナロジーの構造があるので,初対面のものは自分が良く分かる分野のアナロジーに置き換えて理解するとよい.その場面で応用が利くのは,自分の身についているものだけです.
「思考力ヲ用イザレバ、実際ニ活用スルコト能ハザルナリ。」高橋是清

*注1)断熱消磁とは、極低温を作る方法。常磁性物質を構成する原子の電子スピンは低温で向きがそろう性質がある。外部から熱の出入りを遮断した空間内に物質を置き、磁場を印加しスピンを揃えておく。その磁場を切ると、スピンの向きは乱れ、周囲の熱を物質が吸い取ることになる。こうして周囲の温度が下がる。

*注2)落語の「死神」は、落語の元祖,三遊亭 圓朝(幕末~明治)の作(圓朝がグリム童話から翻案したものといわれる)で,死神が見えるようになった男の話だ.もし,死神が病人の足元に座っているなら,呪文を唱えると死神は退散し病気は全快するが,もし,死神が病人の頭の方に座っている場合は,病人は助からないというのが決め事なのだが,死神が居眠りをした隙に布団を反転させてしまうと...
「水晶の簾動いて微風起こり」という表現は、風が起きて簾が動くのか、廉が動いて風が起こるのか? がまの油売りが、「鐘が鳴るやら撞木が鳴るやらトンと判らぬが道理」というが、その因果律は? 
その心配は無用。量子の世界ではこれらは同時に起こるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?