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飛行機は鳥のまねをする


今は深夜の2時前で、湯船につかって、さっき届いた本の半分を読んで閉じた。

お風呂に入るまでは、映画の劇場を見ていて、あと30分のところでパソコンを閉じた。その前は、転職サイトをあらかた見たり職務経歴書を書いたりして、あとひとつの書類を残してサイトを移動した。さらにその前は20分のヨガをし終えたところで、お母さんがなんで中途半端にサラダを残してるのと言ってきた。忘れてた。

悪いくせだ。
漫画も最後の1章だけ読んでいないし、あと2話残して2ヶ月経つドラマもある。
多分さっき閉じた本のあと半分を読むのは結構先になる気がする。


先週、コロナで先延ばしになっていた就活の面接の結果が来た。
5行で、わたしの先行きを祈っていた。
言われていた期日になっても通知は来なくて、眠れない夜を過ごしていた。
その1日後に遅れてきた封筒を郵便ポストで見つけて、開ける手はものすごく震えていた。
うすい封筒の口をエレベーターの中で破って、家のドアの前で手紙を開けた。
この数ヶ月、色々と想定していたことが目の前でばたんと扉を閉じられ、わたしは行先がなくなってしまった。
リビングに座ってあらためて手紙を読んで、叫びながら泣いた。家には誰にもいなかった。
目の前の真っ暗な絶望感に耐えられなかった。

でも痛かった胃はおだやかになって、その日初めてご飯を食べることができた。
悲しかったけど、そんなに悲しくなかった。
バイト先の店長に連絡したら慰めと励ましとこれからもよろしくと言うメールが返ってきた。
わたしは店長のことが大好きになったし、それがあったから落ち込まずに済んだ。

西船橋に暮らすと決めて家を調べていた賃貸アプリはすべて消して、すぐに転職エージェントに登録した。
そこで初めて、自分がなにをしたいのかまったく分からなくなっていることに気付いた。
美術館が閉まっているあいだ、わたしは人にコーヒーを入れ、床の掃除をし、レジのお金を数えていた。
手紙を書き、虫歯を直し、過去の旅について思い出していた。
映画やドラマを見て、筋トレをしていた。
気づけば生活の中に、これまで培ってきた写真のことをすっぽり忘れてしまえそうになっていた。
とたんに怖くなった。今のわたしにはなにができるのだろう。
失業手当も来月で終わる。10万円の給付金はすべて税金を納めて消えていった。
物欲がなくなっていくと同じように、つくる意欲がどんどん小さくなっている。
小さくなっていると言うと違う、写真に向かっていない。言葉に向かいはじめていた。
今は暮らしが心の大半を占めている。

ご飯を作り食べること。
どこに住んで、その街にはなにがあるのか。
そんなことばかりを考えるようになっていた。
わたしにとって何かを作り出すことは、自分と向き合う手段だった。
自分の心がなにに震えて、なにと出会うのかをずっと考えて、ぶつかったとき溢れ出していた。
それは今も変わらないけど、その気持ちは暮らしに向かっていた。

わたしはこの先どうなるだろうか?
また違う職について、安定した収入を得る。
いろいろやって、苦しんでみる。
未来の選択がありすぎて選べない。
前の職の時のように、少し頭がおかしくなるのは嫌だ。
毎日イライラしてお酒を飲んでいた日々にはもう戻りたくない。

わたしは来週、降りたことのない駅で、タレカツ丼を食べて、その街を見ることになった。なんのあてもない。
ただ案内しますよと言われたから、歳も性別もわからないひとと約束をした。
何があるのかはまったくわからない。
でも、何かがあるのかもしれない。

気付いたら船は沈没している。
急がないと波に乗れなくなるこわさもある。
でも少し、もう少し、沈むことを選んでも許してほしい。

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