8年シンガポールにて勤務した会社、足掛け15年関わったヘッジファンドの仕事を退職し、新しいキャリアを歩む事にしました。

さて、今回はこの報告である。この度8年勤務した会社、15年関わったヘッジファンドの仕事を円満に退職し、新しいキャリアを歩む事となった。勤務地は引き続きシンガポールである。外資系の大手某プライベートバンクにて、営業とプロダクトを繋ぐ的な役割、プロダクトスペシャリスト/マーケター的な仕事に転向する事となった。

自身のキャリアは、新卒時に外資系大手金融機関で株のジュニアアナリストで社会人デビュー→その後ヘッジファンド業界に転向、当初はそれなりに規模のある会社から始めて徐々に小規模ベンチャー的なヘッジファンド/運用会社にシフトさせて行きながらアナリスト/運用者として足掛け15年位勤務していた。「ヘッジファンド」「ベンチャー」の組み合わせからの久々の外資系大手金融機関復帰という事になる。加えてヘッジファンドのフロントの仕事を退職するのは自身には大きな変化である。


実はこの1−2ヶ月、引き継ぎ業務を幾らか行った他は有休消化等しつつ、CACSというシンガポールのプライベートバンク資格の取得などしていた(CACSは日本の証券会社の証券外務員資格のプライベートバンク版のようなもので、持ってないと顧客に営業/マーケが出来ないと云う類の資格)。他にドラクエ11もクリアして大いに感動したがそれは別の機会に置いておこう。


さて、昨今流行りの「会社辞めました」の類のブログに習って、何故アラフォーの今のタイミングでシンガポールにて転職をしたのか、中年の今に至って「ベンチャー」から「大手企業」に戻る類の転職をしたのか、ヘッジファンドのフロントの仕事を辞める事にしたのか、簡単に書いておこうと思う。中年の危機でキャリアに悩むかた、ベンチャー企業と大手企業のキャリアに興味のあるかた等に幾らかの参考になれば幸いである。

◯若い頃のベンチャー志向と中年の危機


まずは、「若い頃のベンチャー志向と中年の危機」と言うお題で、今回の転職の背景について少し思うところを書いてみよう。

若い頃は自身も応分に血気盛んな若者であった。大組織にまつわるような社内政治他諸々の面倒、そもそも大衆から先んじないと投資では勝てないのに大組織で合議制で責任の所在も曖昧な状態で投資を行うと言うプロセスの長たらしさと非合理さ、ヒエラルキーによるキャリアステップの長さと出世の遅さ等に疑問を感じていた。


結果として、「スタートアップ/ベンチャー」「伝統的なロングオンリーに対して当時新しい分野であったヘッジファンド」に成長、機敏さ等のイメージから来る憧れを感じるようになった。(多分今の若者が大手企業よりベンチャーを進路に選ぶ際なども似たような感じなのかも知れないなと、眩しい気持ちで若い人を見ている。)


そうした自身の考えを反映して、自身のキャリアステップは新卒入社時の大手外資系金融機関が自身の勤務歴で一番の大企業であり、そこからは「より小さい方へ、小さい方へ」「伝統的なロングオンリーからオルタナ/ヘッジファンドへ」とキャリアを進めて居た。勿論そこから得たもの、学んだ事は沢山あるし、その中で知り合った人達とのご縁は財産でもある。前職にも世話になった。多くの経験をさせて頂いたし、シンガポールのPR(永住権)を得られたのも前職で応分の立場を得ていた事によるものは小さくないと考えている。感謝を述べておきたい。


しかし一方で、小規模企業の在籍が長くなると共に、また自身が中年に至ると共に、中年の危機、キャリアの危機が訪れる事になった。つまりは上述のような心境、考え、自身の置かれた状況にも徐々に変化が出る事となり、それが今回の転職に繋がった面はある。この点について思うところを述べることとする。

◯選手/プレーヤーとしての限界。


まずは中年に至ると共に、選手/プレーヤーとしての限界を痛感する事となった。自身の運用成績は、プロ野球選手で言えば「マイナー球団で一応一軍選手、しかし打率0.227、本塁打数本位の感じであり、松井選手やイチロー選手ではなかった」と言う事を思い知る事となった。


元々は、選手としての成長プランは以下の通りで考えていた。

1.日本株で上位の成果を出す。日株を安定収益源とする
2.一方で自身のノウハウのクオンツ運用への落とし込みを進める。自身のエッジのシステム化の段階、ボトムアップ調査/運用による「日本」という立地からの解放
3.シンガポール立地も活かして日本株運用から得たノウハウをクオンツでもって横展開しパンアジア運用に広げる
4.ゆくゆくはグローバル運用出来るプレーヤーになる


シンガポールに来て最初の3−4年位(自身がアラ35歳位の間)は上記の1,2,上手くやれば3位まで狙い得る立場に居た。詳細は割愛するがギリシャ危機等でHF業界も厳しかった環境においても比較的良い収益をあげられたし、それ以外の所でもボトムアップのアナリスト&定量分析、と言う組み合わせで相応の収益を上げられていた。アベノミクスでもそれなりに収益が出た。子供の頃憧れていた赤いポルシェも買ってみた。さあ海外株式市場の研究も進めていこうかと言った所までは行き、各国市場の貸株制度や需給等の情報を集めたりする所までは行った。


しかし、自身がアラフォーに至るに連れて、自身の日本株の持ちネタはアルファディケイ(=有り体に言えば競争激化、類似プレーヤーが増える事による持ちネタの陳腐化)で儲からなくなって来て、パンアジア運用等と言っているどころではなくなって来てしまった。


更には、当初はVBAとR、後にPythonにシフトしてこれらを独学で習得してバックテスト等行っていたのであるが、所謂クオンツに完全にシフトしようにも独力ではどうにも越えられない壁を感じるようにもなって来ていた。機械学習の技術等はどんどん発達してゆく。オルタナティブデータの活用などデータ整備を進めITを更にフル活用する必要も増している。手持ちネタのアルファディケイも思ったよりも速く、運用モデルの開発/改善サイクルも加速する必要がある。しかしながらそうした諸々に自身は優位な立場に立てていない。色々試行錯誤するがパフォーマンスは一進一退。


結果として、アラフォーに至るに連れてトラックレコード、過去の実績もピークアウトしてしまい、上述のような「打率0.227、本塁打数本の当落線上の選手」として40歳を迎える流れとなった。

この位の成績で40代を迎えた野球選手であればそろそろ次どうするのか、球団運営側、コーチ、解説者、はたまた飲食店他でもやるのか等を考えないといけないであろう、と言う事が頻繁に頭をよぎる事になった。自身で言えば運用会社の運営管理側やマーケティング等に回るのか、はたまた他業界他業種に回るのかといった話だ。

おそらく自身と同様の当落線上位の選手レベルで、小規模ヘッジファンドでくすぶっているひと世代上のアラフィフの同業者、又は転職活動中のセルサイド側のトレーダー等を見かけたり面談を受けたりする機会があった。しかし正直あまり幸せなキャリアになっているようにも見えなかった。

結論として、四十路を微妙な戦績で迎えたプロ野球選手同様に、自身も進路選択を問われる事になりつつあるのは日に日に明白となっていった。厳しいが打率0.227の結果は結果として受け入れる必要がある、その上で40代の10年をどう有意義なものにするのか腰を据えて考える必要があると痛感するようになり始めた。


◯「ベンチャー」に対する業界の状況と自身の認識の変化。

また、プレーヤーとしての上述の状況の変化に加えて、「ヘッジファンド」「ベンチャー」に対する業界の状況、また自身の状況/認識も次第に変化した。

来星して最初の何年か、これもアラ35歳位までであろうか、については、「ヘッジファンドのベンチャー企業」での仕事は非常にエキサイティングで充実していた。

アラサーでした東京での結婚の失敗も離婚の形でスッキリ清算して、心機一転の海外生活。上述の通りシンガポールに来て数年はプレーヤーとしての戦績も悪くない推移であり、その上20代の頃の自身が忌避していた大組織にまつわる社内政治他諸々の面倒が全くない。運用は一定額を自身に任されびゅんびゅんやっていい。Tシャツにジーンズ、スニーカーの格好でポルシェで通勤し休日はドライブ。そりゃまあ楽しいですわな。


加えて社内のバックオフィス整備のプロジェクト等も新鮮であった。新しい証券会社の口座開設、ISDAのアグリーメント締結、プライムブローカーの選定/決定、執行トレーダーの採用と業務フローの確立改善、限られた予算/インフラ内でのリスク管理やバックオフィスの業務フローの改善、コンプラの整備改善等等、小規模運用会社の業務フローを確立/改善する仕事に多く携わる事が出来た。

こうした諸々は大手企業では中々携わる機会はないし、自身が起業する際等にも役に立ちそうな事柄群であり、大いに実りのあるものであった。若手のメンターやバックオフィスとのやり取り的な事にも従事するようになり、プレイングマネジャーとしての成長を大いに実感する事が出来た。


しかしそうした整備も一巡して年齢もアラフォーに差し掛かって来た時に、徐々に状況も変化し、また自身においても異なる心境を抱くようになっていった。

上述の一通りを終えてしまい日々の業務は回るようになればやる事は日々の自身担当分の日株の調査運用のみが中心となり、マネジャー、組織の仕事における成長は以前ほどは感じられなくなっていった。

それは会社が軌道に乗りきちんと回るようになったと言う事であり良い事ではあるとは頭では分かってはいる。しかしアラフォーにもなるのに大勢の部下をマネージするような経験は殆どないままである。「インフラが整っていない中で、とにかく何でも屋的に何でもやり諸々立ち上げて小規模企業の業務を確立する」と言った経験を積めたのは良いが、一方で仕事の規模感としてはこじんまりとしたものでもあり、このままで良いのだろうかとも感じるようにもなった。

一方で、会社としては「小さすぎず大きすぎずで心地よい規模感」に到達したという面もあり、当面は規模を拡大する方向感ではない事、自身に権限移譲がこれ以上為される方向でもない事も理解していた。小規模企業では創業者の意向が全てである。


また、上述の通り自身のプレーヤーとしての面でも運用成績が徐々にしんどくなって行った訳だが、そうした中で、若い頃は心地よいと思っていた小規模企業における個人プレー/個人商店的な状況にも徐々に限界を感じるようになって行った。

新しいネタ、モデルの開発が急がれる中、自身が個人プレーで独学のコードをシコシコ書いてえっちらおっちらバックテストをしている間に、大手のクオンツファンドは数百人のPhdや修士卒のエンジニアを投入して開発をしている訳である。また、小規模企業における個人商店の寄せ集め状態では、才能があるひと同士が協働する事による「掛け算での成長」が難しい事も痛感するようになった。投資/トレードとは最終的には孤独な作業かも知れないが、良い化学反応が起きる協働相手が居ないと言うのは中々厳しいなと。

加えて、自身が業界に携わっているうちにヘッジファンド業界も成長期から成熟期入りした。今から起業するという状況でもないし、ヘッジファンド業界も大手集約の流れになって来ている。自身が上記の各種プロジェクトで携わり身につけたような「ヘッジファンドのスタートアップ/ベンチャーにおける何でも屋的な経験、能力」が四十路の今後10年位で高い需要/価値を持つのか、飛躍に繋がるのかというと疑問に感じるように次第になって行った。「ベンチャー何でも屋」的キャリアを歩んだ人間に直面しがちな話のようにも思う。

このままでは信長の野望で言う、一色家や姉小路家だな、これはまずいなと思うようになった。

結果として、業界の動向としても、自身の年齢やキャリアの段階としても、改めて大手企業での組織としての仕事に正面から取り組む必要性を徐々に感じるようになった。

実際には上述のような綺麗な要約ではなく、アラ35歳からアラ40歳になるに連れて物事の状況が断片的にかつ徐々に明らかになるような形で、じわじわと真綿で締め付けられて行くように中年の危機が深まっていった。自身のプレーヤー、マネジャー双方のキャリアの行きづまり感が徐々に明白になってゆき、ある日完全なる中年の危機の到来を自覚したのであった。

◯そして外資系大手金融機関カムバックと社会人再教育へ。

そうして試行錯誤と悩む時期を経て、最終的にはシンガポールにおける外資系プライベートバンクのプロダクトスペシャリスト/マーケター的な仕事に転職する事にした。加えて、シンガポールの社会人再教育制度を活用して、パートタイムでコンピュータサイエンスの勉強をする事に決めた。

自身でびゅんびゅん運用をやるということへのロマンは消えた訳ではないし、運用者の仕事を辞めると言う事については迷いもあった。イチローになれなかった悔しさもあるし、ここで諦めてしまうのかという気持ちもあった。Tシャツにジーンズの小規模企業のカジュアルな働き方に未練がないかと言えば迷いもあった。

しかし色々考えた結果、オファーを受ける事にした。今のまま信長の野望の一色/姉小路の如くシコシコ一人武将/個人商店で改善に励んでも大きなブレークスルー、飛躍が得られる確率は高くないと判断した。

また、長らく小規模/ベンチャー企業に居た自身が外資系大手金融機関にカムバックするには貴重な機会であるとも感じた。大企業からベンチャーに降りるのは比較的簡単だが、小規模企業から大手金融機関に戻るのは簡単な事ではない。一方で、上述の通りで現在の自身には「改めて大手企業での組織としての仕事に取り組む必要性」を感じるようにもなっていた。5年後ではもう大手金融機関へのカムバックは無理かも知れない、今がタイミングだろうと判断した。ヘッジファンドにて大きな損失を出さないリスク管理を鍛えて来た面等もプライベートバンクの運用に合致したようで評価頂けた事もある。稀有な機会であると感じた。

加えて、プライベートバンクの仕事は比較的年輪の積み重ねが効いてくる商売であり、キャリア寿命も伸びるという面も魅力であった。ヘッジファンドで運用者をしていると自身は最早年寄りの方でありセルサイドのセールスやアルゴ担当者等も年下が多くなっていた。一方でプライベートバンクでは40代の10年というのは「丁度これから脂が乗って来るタイミング」である。40代、50代の専門家も多く活躍している。良い機会、ご縁であると感じた。


日本株だけでなく外株/債券/為替など幅広い地域/アセットクラスへの土地勘を、シンガポールの外資系大手金融機関の豊富なリソース/チーム/バックアップのもとで得る事が出来る機会というのも魅力であった。日本株オンリーからの脱却を、シンガポールの立地を活用しながら何らかの形で図りたかった自身としては大変に稀有な機会である。

何と転職先では、転職者にも入社後に上述の各種プロダクトの研修があるそうである。研修ですってよ奥さん!小規模ヘッジファンドでPCとBloombergだけ与えられて「はい、稼いで」とだけ言われて後は独力で何とかする的な環境に慣れていた身としてはあまりに新鮮な響きである。

しかし日本株以外に自身の土地勘を拡大するに当たってはゼロから手探りでやるよりも大手企業のこうしたリソースを活用してレバレッジを効かせる方が早いとも考えた。若い頃のように大きな組織の政治を闇雲に忌避するのではなく、もういい大人なのだから政治は政治、組織は組織としてきちんと取り組み、大組織のリソースを活用できるものなら活用しようという風に考え方を切り替える事にした。

加えてプライベートバンクも広い意味では資産運用業である。将来的に再びより直接的にマーケットと対峙する方面にご縁があるのであれば自然となるように展開していくだろうし、そうでなければ別の然るべき方向に展開して行くだろうとも考えた。今回貴重なオファーを頂くご縁が来た訳であるから、ご縁の自然な流れに乗ってみる事にした。

◯ITの話と社会人再教育。

さて、転職を考えるにあたり重要な懸案の一つであったITだのプログラミングだの話はどうなったのか。新しい職場については自身はITをヘヴィに活用してデータをごりごり分析したりモデルを開発するという類の職種ではない。

この点についてはシンガポールの社会人再教育制度を活用して、パートタイムでNUSにてコンピュータサイエンスの勉強をする事でキャッチアップする事に決めた。本当は社会人再教育コースではなく本格的な修士課程に入りたかったのであるが残念ながら自身の文系然としたバックグラウンドでは不足との大学院側の判断で合格には至らなかった。

学校だけでなく仕事についてもクオンツ系の仕事も色々探したのだが、自身のバックグラウンドでは中々採用に至らなかった。海外のクオンツ系の仕事は人材の層が厚く、スタンフォード大で統計の修士/Phdを取得して米系大手金融機関でクオンツを歴任した的な人材であるとか、インド工科大でコンピュータサイエンスを学び欧米有力MBAでファイナンスも学んで大手HFでマクロ運用のクオンツをしてます的な人材がシンガポールには普通に居て、自身はそうした人材と伍して行かねばならない事を思い知らされる事となった。日本の大学の文系学部卒で、大手金融機関/グローバルHFのクオンツとしての系統だった経験実績もない自身では厳しい事が明らかになっていった。

結論としてはクオンツ一本立ちで攻めに出るのは今の自身には無理があり、信長の野望で言えば一色家がいきなり毛利家(又は里見家であればいきなり北条家)を狙いに行くようなものなのだと言う事を自覚するに至った。CFAがある、ファイナンスの知識経験がある、ヘッジファンドや株に詳しい、と言った辺りが活かせる仕事の方が相対的にまだ勝負がし易い、優位に立ち易い事を自覚したのであった。


そこでIT面については一旦退却して、まずは「貴方の現状だとコンピュータサイエンス修士コースはきついと思うが、まずはこちらからやってみてはどうか」と言う事で大学側が勧めてくれて機会を与えてくれたNUSの社会人再教育コースからでも良いので、世界的にも名高いシンガポールの教育リソースを活用させて頂きながら出直そうと決めた。

信長の野望で言えば、一色家ならまずは手持ちのリソースでも攻略可能な山名家からである。どこかの段階で時が熟して来れば攻めに出れば良いだろうし、ピュアなクオンツとしての道ではなく、ある程度コードの書けるビジネスサイドの人として生きて行く道になるかも知れない。この辺も流れに任せてみようと言う結論になった。

ツイッターでも時折呟いているが、授業のクオリティは非常に高く、楽しみに毎週受講している。学部レベルの内容はコンピュータサイエンスの基礎体力をつけてくれていると感じるし、大学院クラスの聴講をして、大学院側が「今のあなたに修士はきつい、先ずは社会人再教育講座からやってみてはどうか」と勧めて来た意味も理解できた(相当難しい)。大学院側の判断は正しかった、今はやれる所から着手しようと素直に感じた。

加えて、若者に混じって、彼らのヤングでエネルギッシュなエナジー、エキスを頂きながら新しいことを学ぶ事自体が大変に良い刺激になっている。

◯終わりに


まあこんな所である。シンガポールの片隅で生きる中年が、中年の危機、プレーヤーとしての限界、ベンチャー中心のキャリアの限界を感じてもがきながら進路を模索したと言うささやかな話である。しかしこのように結果だけ書くと比較的あっさりしているように見えるかも知れないが、実際には金融市場、労働市場、男女市場の3方面において泥沼の多方面作戦を余儀なくされる、もっとドロドロとしたプロセスであった。

金融市場:職場では一進一退のパフォーマンスの改善を、信長の野望で言う一色/姉小路的な限られたリソース、政治67戦闘60みたいな自身の半端な能力値の限界の中でドロドロと行った。ホイッスルが鳴り終わるまで、試合終了するまでは、悔いを残さないようにやれるだけの事はやっておきたかった。

労働市場:職場の外ではレジュメを150通程度送付するもアラサーの頃のようには反応も芳しくなく、シンガポールの労働市場の層の厚さ、自身の海外での厳しい市場価値の現実、アラフォー以降の転職の難しさを思い知らされた。上述の通り突破口としてトライした大学院もGMAT/TOEFLスコアも中年なりに出願資格を満たす形で準備したが不合格。文系が理系に転向する事の難しさを痛感した。負けてばかりの日々。


男女市場:男女市場では自身のノウハウ雛形がある程度確立して中途半端にモテるようにはなったものの、アラ35からアラフォーに向かうに連れて確実にタイムディケイして行く我が男子価値の下落に直面した。「中年の男女市場」に興味のある方も一定数いると思われるので最後に転職とは別にこの点について少し書いておこう。

自身の男子価値については、例えばTinderとかMatch.com、Pairsとかの出会いサイト/アプリを継続していると非常に客観的にトレンドが見える。何歳のどの位の見栄え、モテ具合の女性からならメッセにリプライが即来るのか等で計測が可能なのである。35歳手前の時は28歳以上の初婚の美人も対象に入った。これが段々、20代からは返答が来なくなり→アラサー離婚経験者/ワケあり系/同年代位からならモテる位になり→40代のお姉様からならモテモテ、みたいな具合に推移して行く訳である。個人的には歳上の魅力も比較的好きなので40代のお姉様からモテるのもそれはそれで悪くはなかったが、何と言うか労働市場や株式市場と同様かそれ以上にシビアな世界である。


感覚的に、男の35歳は結構鬼門であり、この辺回った辺りからタイムディケイ、価値下落が効いて来るのだと痛感した。これを目の当たりにしながらも決死の再婚活動、もんでもまれて組んず解れつちぎっては投げちぎられては投げられの中年のから騒ぎである。FBではリア充の友人達が子供の七五三の写真とか家族旅行の写真をアップしていると言うのにである。FBの家族リア充投稿は独り身には中々堪える。


今となっては中年の男女市場のから騒ぎも良い思い出ではある。実際、地雷も沢山踏んだが、知的で女性としての魅力もある素敵な女性とも沢山時を一緒に出来た。(結婚のご縁にこそなりませんでしたが、関連の皆様ありがとうございました。婚活戦線を共に戦った戦友(?)として、皆が素晴らしいパートナーを見つけ婚活を引退し幸せになられている事を祈ります。)

しかしそれは幸せに再婚できた今だから言える話である。当時リアルタイムの時はもう女性をディナーに誘うのも椅子を引いて上座に座って貰うのも毎回自己紹介から仕事の時のファンドの概要説明の如く繰り返すのも女性がトイレの間にスマートに会計を済ますのにも疲れが出て来ていた。


拡散しそうな話をここでまとめると、金融市場、労働市場、男女市場の3方面において、こうした中年の危機における泥沼の多方面作戦、自身なりの闘いを、ツイッター居酒屋で馬鹿馬鹿しい事を一方で呟きながら、見えない所で数年に渡り繰り広げていたのであった。特に直近2-3年は中々に厳しかった。


しかし無事再婚もし、四十路以降の進路も先ずは定まった今の気分は晴れやかである。自身からしたら奇跡的な素晴らしい相手との再婚が出来た、最近の1年位はパートナーの支えがあった事は大きい(この点は機会があれば別途執筆するかも知れない)。

仕事においても自身の選手としての限界、海外での厳しい労働市場と自身の市場価値の厳しい現実を直視する事にはなった一方で、その過程で四十路以降の自身に相応しい成長の道筋が漸く見えて来たと感じている。

中年の危機と正面から辛抱強く数年越しで取り組んで、自身なりの道を見出しつつあると言う、ささやかだが貴重な戦果を長期戦の粘り腰の末に漸く上げたと言う思いもある。

20代から30代前半のような「この年齢だからこの位はキャリアアップしてないと」的な焦りも今はないし、周囲と比較して云々言うのも今はない。

人生人それぞれ、配牌は人それぞれ。

漸く中年の危機という重荷からは解放された事もある。軽やかに自身の配牌なりのベストを尽くして、中年なりの、中年だからこそ出来る類の成長を続けて行ければと感じている。

こんな感じで。
最後までお読み頂いた皆様、ありがとうございました。

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