心はある。目には見えないので、多分心と呼ばれるもの。
感情で揺れ動くもの、
音楽で動かされるもの、確かに自分にはあるように思う。

今までの人生で色々な事があった。その都度
この心はアップデートされて、少しずつ、少しずつ人に対して優しくなれる、誰とも仲良くなれる、強くなっている、そう信じていた。

でも、人と仲良くなるのにそれは必要ないことがわかった。彼にはたくさん友達がいる。
重要なのは行動力。表層的な親切心。
豊富な話題。全て自分にはない能力だ。

『表層的な』という書き方をあえてしたのは、やはり自分的にはその能力を軽蔑しているから。彼と会話していると興味のない話題でもなんでも、ちゃんと色々話している。割とジャンルも広いので、なんでも話せる。
でも、心はそこにない。フワフワした手応えしか感じられない。聞いていないのだ。
それがわかった瞬間、自分はもう彼と話したくなくなった。その会話のところ以外でも、
隠れているマッチョイズムや(これが結構強いマッチョイズム)無神経さも見えてきていたことも理由としてはある。

…でも、結局のところ重要なのは目に見える部分であるし、この軽蔑はただの妬みでしかないと言われればそうなってしまう。それがつらい。
『お前は軽蔑する、と言うが我々にとっては彼の方が色々してくれるし、話も楽しいし優しいし、全然お前より良い奴なんだけど?』
おそらく皆こう言うと思う。それは事実。
言葉通り、実際に起きている事柄だからだ。
それがつらい。

でもね、人が楽しく話してるところに待ち伏せして会話に参加してきて、その後躍起になって
二人の時間つくって距離を詰めていく
明らかにそのやり方はおかしいからな。それだけは言っておく。


ここから、今この苦しみから抜け出すには
無理やりみんなに話しかけまくったり頑張ることでも、誰かを落とすことでもない。(そもそもそれは出来ない)
ただ、これからも自分の出来る事、心をもって人と接する事。必要とする人、出会う人は少ないかもしれないが、そういう人々を大事にすること。それしかできないし、それしかないんだと思う。

でも、まだ抜け出せていない。それはわかる。



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