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私は特別養子縁組で養親になった

私には娘がいる。2023年にフィリピンの縁戚から迎えた養子だ。
今日は、「Adoption for Happiness = アダプション・フォー・ハピネス(幸せになるための特別養子縁組)」プロジェクト発起人の私、ネルソン聡子が、特別養子縁組で養親になるまでのことを書きたいと思う。

私の夫はアメリカ人だ。12年前に来日し、小中学校の英語講師をしていた。出会いはお台場のメキシカンフェス。意気投合して交際が始まり、ほどなく結婚した。

その時点で私は40歳を過ぎていた。夫婦揃って子ども好きな私たちは、子どもが欲しかった。けれど、自然なかたちでは恵まれず、すぐに不妊治療を始めた。

病院で最初に言われたのは、「治療が成功する確率は10%です」という言葉。簡単ではないと覚悟しつつ、人工授精、そして体外受精にチャレンジした。私はフリーランスで仕事をしているので、会社勤めの人よりは時間の融通が利く。それでも定期的な受診や服薬は大変で、回を重ねるにつれて経済的な負担が圧し掛かってきた。体外受精を3回ほど行ったが、成功には至らなかった。

夫が「養子縁組(アダプション)を考えるのはどうかな」と切り出してきたのは、そんなときだったと思う。アメリカでは日本よりも養子縁組が浸透しているからか、夫には養子縁組に対する抵抗や偏見はまったくなかったようだ。私は強く拒絶したわけではなかったものの、すんなりとは方向転換できず、そのときは「不妊治療を続けたい」と返事をした。

今考えると、なぜあそこまで不妊治療にこだわっていたんだろう、と思うのだが、当時の私はトライしている不妊治療が成功しないこと、望む結果が出ないことに固執していたのだと思う。

だが、年齢の壁、高額な治療費(当時は保険適用外だった)、頻繁な病院通いによる体力的な疲れ、成果が出なかったときの精神的なショックなどがあり、結局1年で不妊治療をやめた。

治療をやめる決心がついてからは、すぐに養子縁組に関する情報を集め始めた。児童相談所に問い合わせたり、民間の養子縁組あっせん機関のオリエンテーションも受けたりした。

しばらくして、アメリカ在住の義母から、「フィリピンに住む遠い親類に養子として託したい子がいる」と連絡があった。夫も私も、これは何かのご縁だと感じ、すぐに「Yes!」と返事をした。

娘の顔を初めて見たのは、生後7か月くらいのとき。インターネット電話の画面越しだったが、娘の可愛らしい笑顔に心を鷲づかみにされた。

産みのお母さんは画面越しにほかの家族を紹介してくれた。
意思確認のため、「ほんとうに養子に送り出して大丈夫ですか」と尋ねると、「上に男の子が3人いて、育てるのに精いっぱい。日本でいい教育を受けて幸せに育って欲しい」という思いを伝えてくれた。

フィリピンでも地方に住んでいる家庭なので、途中、電話が途切れて何回もかけ直した。男女格差はどの国にもあるが、フィリピンの貧しい家庭に生まれた女の子の将来を広げていくのはほんとうに難しいそうだ。「しっかり育てていきます」と約束した。

当事者同士の意思確認は問題なくできたが、国際養子縁組の手続きが壁となった。ハーグ条約(正式名称:国際的な子の奪取の民事上の側面に関する条約)の国際養子縁組法にフィリピンは批准しているが、日本は批准していない。そのために、複雑なやり取りを要することになった。

最初はフィリピンで養子縁組の手続きをして、日本に入国してから国内法で特別養子縁組をすればいい、と考えていた。しかし、法律はそう簡単ではなかった。先に日本の政府機関で養子縁組の許可がないと、フィリピンでの許可が下りないのだ。

家庭裁判所に問い合わせると、特別養子縁組の最初の申し立て時点で、養子になる子が日本にいる必要があると告げられた。養子縁組に関して詳しそうな弁護士や国際行政書士に、手当り次第電話やメールをしたが、ほとんどの人の返答は「その特別養子縁組は難しいと思います」だった。

でも、このご縁を絶対に諦めたくなかった。インターネットで調べていくうちに、短期ビザを取得して、それを更新しながら特別養子縁組を成立させる方法があることを知った。

ありがたいことに1人だけ、サポートを申し出てくれる国際行政書士と巡り会えた。経験豊富な方だったが、「このケースは滞在ビザが下りるか下りないか、五分五分です」と言われていた。この行政書士の指導のもと、最終的には27種類もの書類を在日フィリピン大使館に提出し、子どもを入国させることができた。

その後、すぐに家庭裁判所への申し立てを行った。国際養子縁組は悪用を退けるために厳しい審査が行われる。優秀な弁護士、そして行政書士の方のサポートのおかげで、2023年12月に娘との特別養子縁組が成立した。

娘は当時、生後11か月。私は保育士資格を持っており、保育園で働いていた時期もあるが、当時の経験はすっかり忘れてしまっていた。産みのお母さんと離れたことが分かるのか、娘は夜泣きが止まらなかった。とにかく無我夢中で育てて、1か月を過ぎたころから笑顔が出てくるようになった。

娘を養子に迎えられたことはとても喜ばしいことだが、実体験から特別養子縁組家庭に対する行政のサポートは整っていないと感じた。例えば、同居届けを出しても、外国籍である子どもは公的な健康保険の対象外だった。また、養親を対象とした研修を受けたいと児童相談所に相談しても、「里親として登録するわけではないから」と言われ、研修を受けられなかった。市役所に相談しても、「こちらにはあまり情報が…」と歯がゆい対応。とても親切にはしてくれたが、必要な届け出の数ばかり多く、私が欲しい情報やサポートを得ることはできなかった。

周囲の反応にもやもやとすることもあった。「養子を迎えることにした」、「養子なんです」と海外の友人に伝えると、「おめでとう!」と全力で祝福してくれる。その一方で、日本の友人に伝えたときには、何か奥歯に物が挟まったような、そっけない反応になることがままあった。悪気がないことは分かっているが、養子縁組を触れてはいけない話題と捉えていたり、「子どもがかわいそう」と考える風潮、ともすれば偏見が、いまの日本にはまだまだ根強く残っていると感じる。いざ養子縁組家族の当事者になってみて、養子を迎えた親には「えらいね」、子どもには「かわいそうに」と言われることにも違和感を持った。

現在は、娘と夫の3人家族で、「普通の家庭」と同じように、子育てに悩んだり、喜んだりして、日々を送っている。私たちは、養子に迎えた娘を育てるのにあたり、産みのお母さんとの交流を続けている。子どもが養子となった後も、産みの親と育ての親が交流を続ける環境の中で、養子の子どもが育つこうした養子縁組の形態は、オープンアダプションと呼ばれている。家には産みのお母さんの写真を貼り、娘には日頃から「この人があなたを産んだお母さんだよ」と話すようにしている。

日本では「血縁関係がある=家族」というイメージがまだまだ根強い。そのせいで、養子を迎えてもその事実を周りや養子自身に伝えない養親の方も多くいらっしゃる。だけど、それは養子にとっては決していいことではないと思っている。子どもは、養子であることを隠されていた=自分は隠されるべき存在なんだと思ってしまうし、「自分はどこから来たのか」という出自について知らないとアイデンティティの形成ができない。何かぽっかり穴が空いたまま一生を過ごしていくことになる。

また、日本では望まない妊娠をした女性たちが誰にも相談できず、孤独を感じながらひとりで出産し赤ちゃんを死なせてしまうという悲惨なニュースが後を絶たない。ニュースなどでは母親が加害者となっているけれど、これは母親一人の責任ではなく、そういう状況に母親たちを追い込んでしまっている社会の責任だと思っている。

子どもは産みの親が育てなくてはいけない、学生時代に妊娠するのは恥ずかしいこと… こういう社会の雰囲気では、悲惨なニュースは決して減らないだろう。自分で育てられない状況にあるときには、子どもを養子に出すという選択肢があることを当事者に知ってもらいたい。

子を養子に出す産みの親は、子どもを捨てるのではない。そこには養子に出さざるを得ない事情があるのだ。養子に出すのは子どもの幸せを思ってのことであり、その逆ではない。そして私自身も、娘の幸せのために養子に出したいと望む産みのお母さんがいたからこそ、養親として娘を迎え、育てられている日々に感謝している。自分の娘が成長していく過程で、養子であることに引け目を感じてほしくない。

私の本業は翻訳者なので、普段から海外の映像・文献など、海外の文化や思想が反映されたものに触れる機会が多い。養親になる過程、養親になってから私自身が感じたもやもやや違和感から、海外の養子縁組の事例や当事者たちの実際の声を日本に紹介することを通して、特別養子縁組に対するネガティブなイメージを払拭するとともに「養子に出す/養子を迎える/養子になる」ことに希望や幸せを見出せるような状況を作っていきたいと思うようになった。

こうした私自身の体験と思いが出発点となり、翻訳者仲間と「Adoption for Happiness = アダプション・フォー・ハピネス(幸せになるための特別養子縁組)」プロジェクトを立ち上げた。特別養子縁組が「特別」ではなくなる社会を目指し、養子縁組に関する海外のドキュメンタリーや当事者へのインタビューなどに日本語字幕をつけ、配信するプロジェクトだ。最初は2名だったが、現在は私を含め全部で8名の翻訳者でプロジェクトを進めている。

このプロジェクトの実現のため、CAMPFIREでクラファンに挑戦している。残り期間はあと一週間、7月29日までだ。これまでに95人もの方が支援してくださったが、目標金額までまだ約160万円もある。このnoteを読んでくださり、共感・賛同してくださる方がいらっしゃったら、ぜひご支援をお願いしたい。

特別養子縁組家庭のひとりとして、特別養子縁組は、産みの親も、養親も、そして養子も、それぞれが自分の選択/自分の置かれた境遇を前向きに捉えて、幸せに生きていくための選択だと信じている。

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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