僕の心の中にオードリーを飼っている話

初めに僕はここ2年くらオードリーの深夜ラジオを聞いているリトルトゥースです。だからと言って、僕がこれまで書いてきた記事や、僕がこれから書くであろう記事はオードリーとはまったくの無関係ですから、これは僕自身の生き方だと捉えていただきたい。

僕は約2年前にオードリー若林の『ナナメの夕暮れ』を読んで、若林の考え方や生き方が、まるで自分の考えそのもので、僕が生きづらく感じる事を見事に言語化していて衝撃を受けました。

そこから僕はオードリーの若林の事をもっと知りたくて、オールナイトニッポンを聞き始めたわけなんですけれど、どうやら僕はかなりの勘違いをしていたようなんです。

というのも、僕はオードリー若林正恭ではなかったんです。

当たり前の事だと思いますが、弱者の僕からすれば、今実力派芸人でレギュラー番組も数多く持っている芸人が、僕みたいな考えをしていて、僕はかってに若林正恭に自分を投影していただけに過ぎないということを僕は自覚しました。僕はただ才能もなく、ただの弱者でしかないという事なんだなとラジオを聞いていくうちに感じました。

でも僕はオードリー若林の考え方が好きで、生き方が好きで、尊敬していますから、僕はオードリー若林(春日も)を心の中で飼うことにしました。具体的には僕の心の中でオールナイトニッポンをしています。僕がラジオを聞きたての頃はオードリーがメインだったんですけれども、最近になって僕の中に、佐久間宜行と三四郎が台頭し始めてきています。ちなみに、月に1回程度ですけれど、山里亮太の不毛な議論も僕の中に出てくることもあります。皆さんのイメージとしては『スプリット』というジェームズ・マカヴォイ主演の映画のようなモノと説明したらわかりやすいかと思います。

まあ、そうは言ってもなかなかイメージがついにくいものだと思いますから、実際僕の心の中でどういったラジオが行われているのかというと

若林「あのー、飲み会あるじゃない?」

春日「うん、あるね」

若林「そう。それでね、あのー、この前、言ってきたのよ飲み会に。で、それでさ、飲み会の時にさ乾杯の音頭があるでしょ?お前、あれ、どうしてる?」

春日「いやー、どうするも何もね。私はそもそも頼まれることがね?ないですから」

若林「あー、そうかー。じゃ、じゃあさ、仮に春日が頼まれたらどうする?そのー、乾杯の音頭の時にさ、ボケる?」

春日「まあ・・・そうね・・・私は・・・ボケないね」

若林「まあ、そうだろうな。春日はボケないからな」

春日「ボケないってなんだ!・・・失礼だな。・・・私だってね、ボケる時くらいありますから」

若林「いや、春日はボケボケないからな。・・・だって、俺は心配だったんだよ!ボケとツッコミを入れ替える時・・・だって俺は1度も春日がボケたのを見たことなかったから」

春日「ははははははは、まあ、確かにね」

若林「確かにってなんだよ、お前、ふざけてんのか、このタコすけ!」

とまあ、このような事が僕の頭の中で繰り返されています。このフリートークは、僕が今日起きた出来事に対してどう感じたかや、僕が常日ごろから思っていることをオードリーの若林が代弁してくれているわけです。僕は若林正恭さんではないし、もし、同じことが起きたら若林正恭ならどう行動するか、どう笑いに繋げるのかを僕なりに考えて、僕の心の中でラジオをするわけです。

僕のこのラジオを初めてから、僕の頭の中はごちゃごちゃしなくなりました。それまでは、同時に色々な事を考えて、結論も出せないまま堂々巡りの議論を自分の頭でしていたんですけれど、これを始めてからは結論は出なくでもおもしろおかしく僕の中に落とし込むことが出来るため、僕はこの勝手に1人で深夜ラジオのおかげで、人生が少し楽になる気がしています。



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