自由に生きるには


 リアルに友人のいない身にとって、同じ思いを感じている人が集まるかつてのインターネットは救いだった。しかし、かつてメインだった掲示板もCGMも、ゲーム実況など、一部の分野を残して廃れてしまった。個人ブログもアクセスが伸びない。SNSはビジネス利用が増え、所属を意識してPRに努めるしかない。

 自由な意見を発信できたネットは窮屈になった。今や、吐き捨て先は、もう、ここしかない。有料購入しなければ全文を読むことができないnoteだ。

 氷河期世代は、最近の投資ブームや住宅ローンの低金利の恩恵も受けず、運良く正規雇用で就職できても昇進もできず、給与水準は低いまま。あらゆる呪詛をネット上に吐き出すしかない。幸いにも人気マンガ・アニメのリメイクブームで、老後はコストのかからない「○○放題」のコンテンツ消費で穏やかに過ごせそうだ。

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 翻って、問題はアラフォーに差し掛かった「いま」だ。収入が増える見込みがなく、とても生きづらい。以前は書き込みを読んだり、実際に書き込んだりすれば承認欲求が満たされ、モチベーションは上がった。

 しかし、ここまで低調になるとむなしく、もはやネット検索、Twitter、買い物すら、すべて自己嫌悪しか感じない。本当に欲しいものは家族を含めた他者からの「承認」だ。ゆっくりとした時間、家族との語らい、将来のビジョン……。

 昔、勢いがあった頃のインターネットは、趣味や嗜好が同じ無数の他人との交流が中心だった。もちろん、ROM専の人も多かったけれど、とにかく、匿名で何でも自由に書ける雰囲気があった。建設的な議論、有益な情報も多かった。

 スマートフォンの普及と、リアルとオンラインの融合によって、「ネット上で発信すること」の影響力が大きくなり、制約が増えてきたと感じる。個人のSNSであっても、本音を知られないようにぼやかして書くしかない。

 言いたいことは、誰にも言えず、リアルな叫びは、ネット上には、どこにも残せない。ネットに残らない情報/言葉は、すべて「なかったこと」になる

 自分の人生の痕跡はどこにも残らない。結局、何者にもなれなかった。

 アーティストや漫画家など、クリエイティブ面で実績を残した著名人は40代で亡くなる人も多い。「人生は40年」とすると、残りは2年しかない。だから焦っている。

note:人生40年論 より

40歳の時点で子どものいない人、死んでもいいと思う人には、自ら死ぬ権利を与えて欲しい。産んだ子ども育てる権利を他者に譲る選択肢もあっていいはずだ。

 残りわずかな人生に悔いのないよう、本当に書きたいこと、伝えたいことを書き綴りたいと思った時、強烈に、新しい場所に住み、人生をやり直したいと思った。住む街を変えれば、もっと前向きに、細く長く生きたいと思えるかもしれない。

 正当な評価を得られず、創業者や上司に振り回されるばかりの仕事より、プライベートを充実させたほうがいいと、ようやく気づいても、一度広がった溝は深い。何より若さは戻らない。

 あがいても考えても、行動に移しても、「何者にもなれない」「今さら何も変えられない」と自身で認めざるを得ないくらいなら、世界はすべて終わっていい。


noteでは、街・人・お金に関する情報を中心に発信します。いま、社会は変革の時代を迎えています。東京・神奈川中心に、県境を組み直す時期でしょう。