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なるべく幸せになりたくない

一人暮らしの幸福に慣れたある日、自由ほどの不幸はないなと気づいた。自分のためにだけ生きる生活は何処か退屈で、己の往く先を見失いそうになる。

自由は残酷にも自己責任を伴う。かつて不幸な実家に身を置いていた私は、目処の立たぬ幸福に若干の諦めと心地の良い怠惰を覚えていた。

一人暮らしの生活は選択の連続で、選択の連続こそが自由であり、責任を己に帰すのであった。私は優柔不断に今日も晩飯を選べなかった。不味い晩飯を取るのに怯えていたのだった。

実家での暮らしは窮屈だった。閉塞した実家にあったのは、ヒステリックな母と被害妄想癖のある父の顔色をうかがう生活だった。

他者に気を配り続ける生活は私を傲慢に育て、私は自分の幸福を知らぬまま大人になっていた。長らくそばに居る友人の微笑みを幸福だと勘違いしていたが、それは友人と私を取り巻く文脈で、己が正解を選んだことへ対する安心感に他ならなかった。

今一人で生きる私は自分の幸福を見い出せない。傲慢な私はいつしか他者と自分の線引きが曖昧になって、自分を取り巻く環境と癒着して大気にでもなってしまうのだろうか。

懐疑的な私は幸福の喪失を恐れ、幸福になればなるほど不安を抱くようになった。ぬるい幸福のもたらした不安はなかなか拭えず、手に取れる娯楽で誤魔化そうとするも癒えはしない。多種多様な抗不安薬で鬱を紛らわす毎日の往く先は止まるとこを知らず、私は今日も生きる意義を見失う。


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