ニルヴァーナ

孤独にはとっくに慣れていたのだが、ここ最近、とあるきっかけでとうの昔に失った、さみしい、という感情に襲われている。俺にもまだこんな感情があったのか、といういくばくかの驚きとともに、この纏わり付くさみしさの処理に手こずっている。正直なところ、お手上げである。もう時間が過ぎるのを一秒一秒待つしかない。benzoやweedで誤摩化してはいるものの、なかなかにこれは辛い。なんだか少しげっそりした気もする。鏡を見ると、目つきの悪い、禿げたちょんまげの中年男性が映る。これが俺か?もう目も当てられない。持ち前のナルシシズムもこれには勝てない。黙ってひとり、カフェラテを飲み、weedを吸い続けている。もう9割方詰んでしまった俺の人生。残りの力でなんとかジタバタしてみるものの、いっこうに光の見えないトンネル。その先に見えるのは果たして光か、死か。俺の芸術は実に稚拙なものだった。どんどん進む資本主義社会を前にして、その波に飲み込まれるのは必然だ。生きる理由なんてものは言うまでもなく全く無い。生まれて死ぬだけだ。絶対に埋めることの出来ない母性というものへの強烈な渇望。もう笑うしかない。どのような形にせよ、死に一秒一秒近づいている。死の先に安らぎがあることを祈る。

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