妊娠しないという選択は、未来の子供への最大の愛情表現なのに
前回の自分のモヤモヤを語ったブログ、一旦お付き合い制度を廃止してみる。が思ったより色んな方からご共感頂いたので、たまに爆発しそうになったら下書きに留めておかないで、自分の溜まっているものを少しずつ吐き出していこうと思います。
サポートして頂いた方、ありがとうございます。
国語が苦手ながらに書いた稚拙な文章に金額的価値を見出していただいたのは、なんとも不思議な感覚です。
しかしながら、少しでも読んで良かったと思っていただけたのだとしたら心底嬉しいです。というか、超絶嬉しいです。書く意欲、発信する意欲が湧きました。
さて、書くぞ。
これ書くの怖いけど、あくまで一個人の意見として見ていただければ嬉しいです。
子供産む産まない問題
周りのみんなが子供を産む年になってきたからか、お酒を飲みながら最近よく出るこの話題。
「もし今、子供ができたらどうする?」
私は迷わずこう答える。
「え、絶対おろす」
そんなこと言うと批判されるかもしれないけど、私は絶対子供をおろすと思う。
人の命をなんだと思ってるんだ。
というふうに罵倒されそうな気もするが、私は誰に何を言われたとしても、絶対そう答える。
人の命は尊いものだという認識はある。
でも、尊いものだからこそ、私は子供をどうしても産みたくないのだ。
「おろす」ってわかってるからこそ、絶対に作らないってきめた。
26歳。
まだまだやりたいことだってあるし、大学時代から目標だったものに、少しずつだけどちゃんと近づけてる気がする。
でもやっぱりまだまだで。
この自分にとって大切な時間を子供の養育時間として注ぎ込みたくないのだ。
1年後あーしてて、2年後あーなってたらいいな。という未来の自分の想像は、小さな頃から見つけては大切にしまっていた宝物が沢山入った宝箱みたいに、自分にとってかけがえのない大切なもの。というか、そのために私は生まれて、今生きているのだと思っている。
今しかできないし、
今やらなきゃいけない。
そんな自分にとって大切な時間を子供に注ぎ込めるのか?っと自問自答すると、頭を抱える。
だから、
逆の立場になって考えてみた。
小さな頃から「自分がやられて嫌なことは他人にするな」と耳がタコになるくらい母親から教えられてきた。
自分の赤ちゃんだって、自分以外の人という観点で見れば「他人」である。
もし、卵子と精子がいい感じに合体して奇跡的な確率で自分が誕生したときに、
「え、妊娠したの・・・?どうしようか」とお父さんに言われたくない。
親に殺されるかも(おろされるかも)という考えを一瞬でも考えたくない。
自分がお腹の中にいるとお母さんに気づかれたとき、悩ませたくないし、悲しませたくもない。
私は、子供ができたときに大喜びできる母親になりたい。
「待ってましたぁー!」って、家族として迎えたい。
仕事を楽しんで、そしてその楽しさを子供に伝えられるようになりたい。
だから、今の状態で子供ができたらおろすと思う。
そして、おろすということがわかっているから、絶対に避妊するし、避妊に失敗したときは迷わずアフターピルを処方する。
私は人を精神的にも、肉体的にも殺さないために、絶対に妊娠しない。
そして、妊娠をしないという選択は、未来の自分の子供への最大の愛情表現だと思っている。
責任、なんか取られたくないです。
「妊娠したら責任とるから」という言葉を吐いて、生で行為をする男性もいますが、本当不思議で仕方がない。
責任って一体なんなのでしょうか。
金銭的援助?それとも結婚?
そちらは責任を取る気かもしれないが、
こちらが、あなたに責任とって欲しいといつ言いました?
こちらがあなたに対してプロポーズをしたならまだしも、そんなこと誰にも言った記憶がない。
「責任をとってもらう人」を選ぶ権利はこちら側にもあるし、SEXしているからといって自惚れないでいただきたい。
そりゃSEXするくらいだから、嫌いではないけどさ。
本当、昔から将来の話をしていないのに生でSEXをする男性の思考回路が不思議で不思議でたまらない。
相手の女の子の未来の子供のためにも、ちゃんと避妊をして欲しいし、女性もどうしてもしたくなったとき用にコンドームをカバンに常備していてもいいと思う。
もし、今子供ができたときを考えてみて、産まない決断をする可能性が少しでもあるのであれば、自分の未来の子供のためにもちゃんと避妊してほしいな。
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