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どうなるかわからないことをやるから感動するんだった、人生。


明け方5時過ぎ。涙を拭いてカーテンを開け、明るくなってきたベランダに足を下ろす。人は誰もいなくて、鳥が1羽、空の高いところを飛んでいる。まだ暑くなっていない空気をまとった風が右から左に吹き抜けて、とても気持ちよかった。



たぶん、少し前から小さな出来事たちが繰り返し私をノックをし続けてくれていた。

コロナの味覚障害で、もっとご飯を美味しく食べたいと痛感したこと。
久々に心が震えて、ものづくりがしたいと思える作品に出会ったこと。
電車が遅延して、待ち時間に読んだ『チーズはどこへ消えた?』のフレーズ。
ブロックしてもいいと思える出会いがあったこと。
Cowboy Bebopの名言を聞き返すきっかけを友達がくれたこと。
別の友達がその日に仕事を辞める決断を軽々とくだしたこと。


そして、

元気になってきた、と秀昭から連絡があったこと。



自分の中の愛する力の大きさをずっと忘れてしまっていた。
嬉しくて、ぶわりと自分の輪郭を軽く超えて溢れ出したエネルギーに私が面食らってしまった。


そうだよ。私、こうだったじゃん。



鬱になってからそこそこ良くなった今も、自分の輪郭と自分の意識のサイズが合っていない感覚がずっとあった。体の輪郭より、自分を自分と自覚している体積が小さいみたいな。
そして脳みそにはずっと重いモヤがかかっている。休んでいてもそれは変わらない。頭が常に水の中にいるみたい。

どうしたらいいかわからなくて、ずっと途方に暮れていた。ブレインフォグは治し方がわからないらしいし、鬱を経て脳は萎縮してしまう。それを日々痛感していた。ただでも物事を忘れやすかったのはずっと加速して、昔よりずっといろんなことが出来なくなって。もちろん歳もとるから、このまま緩やかに悪化していくだろう事実に虚しさを覚えていた。どこまでせめて現状維持して生きていられるだろう、って。


秀昭が元気になって、ほんの少し言葉(文字)を交わした、というたったそれだけの出来事。昔と違って近くにはいないし、それぞれの人生をお互いが歩んでいてそのほとんどをお互いが知らない。それでも、自分でびっくりするくらいに何一つ変わらなかった。彼がどう思っていてもいなくてもそんなのは一ミリも関係なく、存在そのものへの圧倒的な愛が溢れて、それと共に何年も小さく縮こまっていた”私”がぶわりと大きくなって、ちゃんと私の輪郭をはみ出した。


私、ここまでなにかを愛せたんだった。


そして何故だかゆっくりと、生まれてから今までの記憶が上空視点で再生されていった。


幼い頃に家のリビングで絵本を読んでいた風景、歩いて小学校に通っていく自分。長年思い出すことすらしなかった、当時の学校の下駄箱から教室までの道のり。塾に通って、中高一貫校に電車で通学して、仲間と授業中に書いた小説を見せ合ったことだとか、入った大学がつまらなくなって病んで、でもコスプレイベントがめちゃくちゃ楽しかったことだとか、ブログからの出会いでたくさんの仲間が出来たこと、シェアハウスに住んで会社を辞めてバイブバーで働きつつ起業して、それから多くの仲間達と富士山に登って、秀昭と二人で暮らした家を引き払って日本縦断に出たこと────。


深夜にクローゼットの奥を漁る。普段使わない大切なものを入れておく箱の中から、日本縦断の思い出をまとめた分厚いお手製の本を拾い上げてページをたぐる。そこにはまっすぐな、私と時々秀昭の言葉、それからたくさんの出会いの写真が載っていた。今でも信じられないくらい多くの人達に助けてもらった。意味がわからないくらいの出会いと奇跡が意味がわからないくらいに沢山あった。


今の私よりずっとシンプルで、そして愛に溢れた自分自身の言葉にはっとした。あれから時が経ちすぎて、心のしんどさに自分を大きく閉じて、気付けば今を守ることに必死になっている私は昔とは変わりすぎて、あの旅は今の自分と全く違う存在として切り離されてしまっていた。遠い過去の体験だと、彼のアートなのであって私は便乗させてもらったに過ぎないと。

そしてせめて今のこの自分の現状維持を少しでも長く、でもこれ以上悪化したらどうやって生きてゆこう……なんて塞ぎ込んでいる。そんなつまらないことってないのに、どうしてそんな面白くないことをして生きてるんだろう私、って自分でおかしくなって笑い出してしまった。


「どうなるかわからないからやるんだし、だから感動するんだ」って、1+1=2くらい当たり前の言葉が突き刺さる。感動したくて生きてるのに、その感動から遠ざかってたのは自分だ。弱くなった自分でも生きてゆける安心が欲しくて、傷つかないように傷つかないようにと守っていたら、昔はなんでもなかったような些細な物事に傷ついてしまうようになった。


確かに鬱になって聴覚過敏とかパニックだとか、発覚した障害や悪化した症状もあるけれど。「だからどうした」って言える自分だったはずだ。「だからこそむしろ面白い道があるじゃない」と息巻いていたくらいに。今よりよくならないなんて誰が決めたんだ、って。( 過去に躁鬱なので悪化するしかないとの診断を聞かされて人生しばらく真っ暗だったけど、鬱は治るという先生に出会って実際に治った過去だってあったのに! )


そうだ。先がわからないことをやらなくちゃ。やったことがないことをするから冒険になるし、感動もするのに。日々がその感動と面白さと先の見えないドキドキに溢れていた旅の中の私の言葉が、秀昭の存在によって溢れた愛をちゃんとその場に縫い留めてくれた。秀昭のことがシンプルに好きだとかそういうのもあるけれど、私自身の可能性、「当たり前にもっと私の世界は大きくなるしそれが本来の自分だよ」という事実を目の前に描いてくれた。だって、そうだったんだ私は。私のもともとの形を、何年かぶりに思い出した。


そして、それと共にぶわりと溢れ出したのは、幼少期から今まで関わってくれた人達への感謝だった。今までの人生と今の自分があまりに違って分断されていたみたいになっていたけど、人生を辿り直してちゃんと繋がっていることを思い出したら、思い出せるものにも思い出せないことにも、言い表せないくらいのありがとうが溢れて涙と一緒に止まらなくなった。”今まで関わってくれた全ての人達のおかげで今があるんだよ”、なんて人の言葉で聞くと薄っぺらくて道徳押し付けんなよ、くらいに思っちゃうこともあるけど。この瞬間だけは、他の誰でもなく自分から湧き出た想いだから、無性に何かに手を合わせたくなった。



私が私の中にちゃんと入って息をしている。私本来のかたちで。



いつぶりかわからないこの感覚で、頭を覆っていた霧がだいぶ晴れていた。もしかしたら、物事を難しく複雑にして石橋をどう叩くかばかり考えすぎる自分のためにあえてモヤを張っていたのかもしれない、なんてことを思った。


そして冒頭の淡い朝焼けの中、周りがどう言おうと近しい人たちとの距離感が変わってしまうのだとしても、私が私のかたちを譲らずに生きていかなくちゃと思った。とはいえもしかしたら、本当は自分の形が小さくなっちゃうことは人生であんまりないことなのかもしれないから、勿論またそうはなりたくはないんだけど、ベクトルが違う面白い体験をさせてもらったと思う。



自分が自分になって初めて描けるものがたくさんある。自分の形じゃないと、未来や長いスパンでの計画、初めての経験を想像したり、ましてや『人生を棒にふれ』なんてとてもじゃないけど思ったりできないもの。



皆がみんな振らなくていいのかもしれないけど、感動フェチなら間違いなく、秀昭やスパイク・スピーゲルの言ったように、人生は棒に振った方がいい。やったことのないことへ、明後日の方向へ。それが自分に帰る渾身のホームランを産む。





自分のための覚書みたいな文章になっちゃったけど、読んでくれてありがとう。
そして私と関わってくれた人だったら、ありがとうと言わせてください。



「ありがとう。」



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