見出し画像

【4月の第二週】ひみつきちのはなし【ある喫茶店にて】

するすると湯気の立つカフェオレはまさかのサイズで度肝を抜かれた。
すっごく、すっごく可愛いんだけど、陶器のお椀に入ったカフェオレはめちゃくちゃシュールだった。
そして、ぽってりとしたバナナブレッドは「軽食」と読んだら詐欺だろうというレベルの厚さでこちらも度肝を抜かれた。
ビッグサイズのお店なんだろうか。

抱えるようにお椀(もはや小さいどんぶりか)を持ってゆっくりとカフェオレを口に運ぶ。
こんなにたっぷりとカフェオレを飲めるなんて、なんて贅沢なんだろう。
ごくん、と喉が鳴る。
しっかりあったかいけど、熱くてしばらく飲めないなんてことにはならない絶妙な温度だ。
喉が渇いていたのか、カフェオレが美味しすぎたのか。
私はそのまま三分の一ほど飲み進めた。

ふう、と一息つきながらボウルから顔を離すとバナナブレッドが再び存在を主張してくる。
小型の木製ナイフがお皿に添えられているのを見ると、これで食べる際のサイズ調整をするらしい。
ただ、フォークが見当たらなかった。
「あの、フォークがないんですけど。」と言おうとして止めた。
なるべくあの店員さんとは会話しないほうが無難だ。
ナイフで切ったあとはつまんで食べればいいし、特に問題ない。

そう考えをまとめた私はナイフを手に取り、バナナブレッドに刃を入れた。
スッと入ったのに、ねっちりずっしりした質感が伝わってくる。
その時にわかったことがある。
このバナナブレッドにフォークは必要ない。このままナイフで食べられるんだ。
2センチの正方形を作って、その真ん中にナイフを突き立てるとそれはしっかりとナイフにしがみついてくれた。
そのまま口に運んでも落ちてしまいそうな気配はなく、バナナブレッドは無事に私の口の中に届けられた。

正方形を口に収めると、鼻の方にバナナの匂いがぶわっと流れてくる。
おお、と幸せに浸る間もなくバターのちょっとした塩気が舌を刺激して、噛むごとに甘みが感じられる。
私の口内はてんやわんやして、ちょっとしたお祭り状態だ。
てんやわんやを愉しみながら、またひとつ正方形を作る。
口へ運ぶ。咀嚼する。てんやわんや。
口へ運ぶ。咀嚼する。てんやわんや。
続けて食べ過ぎたのか、飲み込むのに失敗して私は「ぐ。」と変な声を出してしまった。

慌てて例のどんぶりを手に取る。
ごくごくと自分にしか聞こえない音を聞きながらカフェオレを飲むと、ようやく喉のつかえがとれた。
よかった……。
危うく、来たばかりのカフェで死ぬところだった。
死因が「バナナブレッド」だなんてカッコ悪いし、お店にも迷惑をかけるところだった。
残りは少しゆっくり食べさせてもらおう。
そういえば、さっきの失態を誰かに見られはしなかっただろうか。
店員さんとおじさんしかいないけど、その二人のどちらかにでも見られてたりしたら最悪だ。

こっそり店内を見回すと、店員さんがいることは確認できたがおじさんの姿はちょうど見えない位置らしかった。
店員さんは何か作業をしているみたいだし、うん、大丈夫。
あれは私しか知らないハプニングだった。
キョロキョロしていたせいか、顔をあげた店員さんと目が合ってしまった。
どうしよう、どうしようと焦るばかりで目を離せないでいると、こちらに向かって歩いてくるではないか。

「なにか、ご用でしょうか?」
静かに聞いてくる店員さんに「なんでもないです」と言えばいいのに、何か言わなくちゃと焦った私の口から出たのは、またなんとも間抜けなことばだった。
「あ、いや、えっと。どんぶりでカフェオレを飲むのが初めてだったので、不思議なお店だなって思ったんです。」
やってしまったと後悔したけど、時すでに遅し。
こんなこと、言うんじゃなかった。絶対に気を悪くしたよね。
でも、店員さんからの反応は意外なものだった。

「ああ、たしかに。あまりボウルで提供するお店は多くないと思います。飲みづらかったですか?でしたら、次回以降はマグカップにします。量は同じだけ、分けて出す形になります。」
マグカップもあるんかーい、と心でつっこみつつ“ボウル”なのだということがわかって、そして何より店員さんが嫌な顔をしなかったことに私はホッとした。
「カフェオレってボウルに入れるものなんですね。たっぷり飲めて嬉しいです。この、バナナブレッドも。」
「喜んでいただけて何よりです。カフェオレボウルはフランス生まれで、まさしくカフェオレを飲むための器なんです。ですが、カフェオレしか入れてはいけないなんてことはなく、スープやシリアル、それこそお客様がおっしゃったようにどんぶりとして使うこともあります。」
「あ、そうなんですね。そうかあ、フランスかあ。」
へええ、といいながらボウルをあらためて眺めてみた。

柔らかいけど明るい白の陶器で、施術したばかりのネイルみたいにとぅるとぅるのツヤツヤだ。
縁のところはあわいブルーで色づいていて、綺麗なんだけど可愛い印象も受ける。
「この器、とても素敵ですね。」
と伝えると、店員さんは初めてにっこりした。
「ありがとうございます。作家さんにお伝えします。この器は作家さんの自信作なんです。」
「作家さんから買っている器なんですね。」
「このお店で使っている器はすべて作家さんから購入しています。同じデザインのものを展示販売していますので、気に入って買われる方もいらっしゃいます。このカフェオレボウルは今のところ一点物で、お客様に初めてお出ししたものです。」
「そうだったんですね!デビュー戦だなんて、光栄な……。ありがとうございます。残りも味わって飲みます。」

店員さんは「ええ、ごゆっくりどうぞ。」と私たちの会話をしめくくるとカウンターの中に戻っていった。
あらためて自分に用意されたトレイを見てみる。
カフェオレボウルの他に、バナナブレッドがのった紺色のお皿と木製のナイフ、そしてそれを全部のせた木製のトレイ。
「このお店で使っている器はすべて作家さんから購入しています。」って言ってたから、少なくともお皿は作家さんが作ったものだ。
そう思うと、なんだかものすごく特別なもののように見えて、縁を指先で撫でてみたりした。
器をしっかり見たり、選んだりしたことなんて無いなぁ。

私はカウチから立ち上がると、カウンターまで歩いて行った。
「あの、すみません。」と声をかける。
顔をあげてくれた店員さんが口を開くより早く、私は「あのボウルを買うことはできませんか?」と尋ねていた。
値札がついていない、今のところ一点ものと言っていたボウル。
断られるだろうとわかっているのに、聞かずにはいられなかった。

「もちろん、お買い求めいただけますよ。本日お持ち帰りになりますか?それとも、お取り置きにしますか?」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?