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【4月の第一週】ひみつきちのはなし【ある喫茶店にて】

「はあぁ。」
うららかな日っていうのは、今日みたいな日のことをいうんだろう。
暖かくて、からりと晴れていて、空色が澄んでいて。
タンポポが揺れてる道を、ネコが横切っちゃったりして。
うん、間違いなく良い日のはずだ。
なのに、なんでこんなにも憂鬱なのか。
「はあぁ。」
私は100メートル歩く間に、二階もため息をついたのだった。

ふと見やると、右手に小道がのびている。
この道路の両脇に道がのびてるなんて、気にしたことなかったな。
いつもはそれどころじゃないから……。
でも今日は、いつも、じゃないから……行ってみようか。

なんてことはない、住宅が並ぶ普通の道だ。
だけど、この地域特有のっていうのかな、昔ながらのデザインだったり、ちょっと凝ってるけどトゲトゲしていないデザインだったりと、いろんな住宅が少しずつ間を置きながら並んでいる。

数軒を通り過ぎたところに、「OPEN」と書かれた小さい看板をみつけた。
「へえ、こんなところにカフェがあったんだ!」
なんだか嬉しくなった私は門をくぐる。
そこには、少し大きめの木造家屋が建っていた。
古民家ってやつなのかな。

カラカラカラと音を立てながら引き戸をあけると「いらっしゃいませ」と声が聞こえてくる。
「靴は脱がなくて結構です、そのままお上がりください。」と女性の店員さんに案内されて店内を見回すと、思っていたよりも中は広く、色々なタイプの席が用意されていた。

「お食事ですか?お茶ですか?」
「お茶です。」
「おひとりですか?」
「あっ、ええ、はい。すみません。」
「いえ、謝罪の必要はございません。お好きなお席にどうぞ。お茶用のメニューをお持ちします。」

どうやら従業員は彼女ひとりらしく、メニューを取りに行くために私から離れて行った。
ぐるりと店内を見渡すと、廊下の手前と奥でエリアが分けられていることに気づいた。
廊下の奥は小上がりになっていて“こちらで履物を脱いでください”という注意書きがあり、その先は畳になっている。
4枚の座布団に囲まれたちゃぶ台がひとつ、あとは2脚の椅子に挟まれたテーブルがひとつ。
なんとなく、旅館とかおばあちゃんの家みたいな感覚になるスペースだった。
一方で、廊下の手前はテーブルとイスで構成されていた。
窓に面して4人が並んで座れるカウンター、2人用の椅子がセットされた丸テーブル、そして飾り窓のところに一人用のカウチが3つほど用意されている。
私は花が活けてある飾り窓のカウチを選んで座った。

私が座るとすぐに店員さんがメニューをもってやってきて案内をしてくれた。
「初めまして。当店はお水やおしぼり、飲み物に使うお砂糖などはセルフサービスでやってます。携帯電話や電子機器は音を鳴らさずに使用してください。店内での通話は禁止しております。こちらがメニューです。決まりましたら呼んでください。」
「あ、はい。」
店員さんはなれたようにスラスラと話し切るとすぐにその場を離れてしまった。

彼女の背中を見送って手元のメニューに視線を移す。
さて、何を注文しようか。
少なくはないけど多すぎもしないメニュー表を眺めていると、ふしぎなメニューを発見した。
“何も考えたくない人のためのおまかせメニュー(飲み物とお茶請けのセットです)”
これだ、これにしよう。

「あの、すみません。」
「はい、うかがいます。」
店員さんはすぐに私の席へやってきて、「何にしますか」と聞いてきた。
「あの、この“何も考えたくない人のためのおまかせメニュー”が気になるんですけど。」
「はい。」
「……ええっと、このおまかせメニューが気になるんですけど。」
「はい。」
「えっと……。」

どうしよう、この人、「はい。」しか言ってくれない。
任せちゃだめなの?じゃあメニューに書かないでほしいんだけど……。

「あのう……。ええと、ですね。こちらのおまかせメニューが気になるんですけど……。聞こえてるんですよね?」
「はい、聞こえてます。」
「あっ、聞こえてる。そっか。えっ、じゃあ、そういうことなんですけど……。」
「ええ、先ほどからおまかせメニューが気になっているようですね。聞こえてます。その続きがあるようなので、待っています。」
「えっ?」

続きがある?
続きがあるって、なに、どういうこと?
私、“何も考えたくない人のためのおまかせメニュー”ってちゃんと伝えたよね?
続きって何?
私が戸惑っているのを察してか、店員さんが口を開いた。

「先ほどからあなたは『おまかせメニューが気になるんですけど』と言うばかりで、“けど”の先を言わないままです。“けど”の先には文が続きます。ですから、その続きを待っています。『気になるんですけど、だいたいどんなものが提供されるのか知りたいです』なのか、『気になるんですけど、品切れではありませんか?』なのか、『気になるんですけど、アレルギー持ちなので相談したいです』なのか。私はあなたの言う“けど”の先に対応するために待っています。」

私は口をあんぐりと開けて彼女を見つめた。
なにこの人、超失礼じゃない?
っていうか、超変人じゃない?
こんなんだから、お茶の時間なのにお客さんが誰もいないんじゃないの?
言葉に詰まっていると、ギシギシと廊下の板をきしませながら誰かが奥からやってきた。

「こらこら、こんな若い人に。少し優しくしてあげなさい。君の言うことは最もだけどね。最後まで言わないのは日本人のクセみたいなものだ。」
妙に声が良くて、妙に背の高い着流し姿の男性がフォローなんだかよくわかんないことを言いながら私に「すまないね」と声をかけてくる。

「いえ……。」
「ここは私が奢るから、あまり気を悪くしないでくれると嬉しいな。おまかせメニューの先輩からのお願いです。」
今日はカフェオレとバナナブレッドのセットだよ、と彼が続けて言いながら自分の席を指さした。
全然気づいてなかったけど、棚に隠れて一人用のデスク席があったらしい。

せっかく入ったのにこんなモヤモヤのまま出ていくのも、自分のお金を使うのもなんだかなと思った私はその男性の申し出を受け入れることにした。
カウチに座り直してカフェオレとバナナブレッドの到着を待つ。

店内はオレンジ系の灯りで照らされていて、午後と夕方のあいだみたいな感覚になる。
陽だまりがないから、ひょっとしたら永遠の夜かもしれない。
時間が止まったような不思議な空間だ。
店内に飾ってある絵や雑貨や本をよく見ると値札が付いていて、その場で購入できることがわかった。
値札が付いていなければ購入はできないもの、ということらしい。

「こちらに置いておきます。ゆっくり過ごしてください。」
声をかけられると店員さんがカップとお皿をのせた小さなお盆を私の席に届けてくれたところだった。
せっかくだから、すぐにいただこう。

私はカウチに再び身を沈めた。

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