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4月の店主日誌【ある喫茶店にて】

今月の簡単な振り返りは……。
客入り、多い。
売上、まあまあ。
所感、リピーターになりそうな人が多かった。
細かい金勘定は、別紙を参照。

細かい振り返りやデータ算出は後でいい。
とにかく今感じているものを書いておくのが大事だ。
肌感とか体感とか、人によっては温度って呼ぶのかもしれない。
ともかく、数字や事実的なものではなくて私の主観を残しておくこと。
これが、その月の締めくくる大切な儀式になっている。
手帳を閉じたのと同時に、「儀式は終わったー?」とのんきな声が聞こえてくる。
この店の常連の自称「イケおじ」、蔵之介さんだ。

「終わりました。ついでに言うと、お店も終わってます。いつまでいるつもりですか。」
「まあまあ、固いことは気にしないで。ほら、お疲れ様のコーヒーをいれてあげよう。」
「なんども言いますけど、ここは店舗なんです。一般の方が入っていい場所じゃありません。」
「僕だって検査は通ってるし、ここに立とうと思えばいつだって立てるんだよ。あなたこそ、忘れたわけじゃないでしょう。」

余裕な感じのにっこりが気に入らないけど、事実なので反論もしなかった。
反論しない態度を「OK」の意味だと捉えたのか、蔵之介さんはカウンターに入ってくるとコーヒーを淹れる準備を始めた。
どの豆を使おうかと迷っているようだが、何かを思い出したように「なにか、出せるお茶請けはある?」と聞いてきた。
お茶請けにあう豆を選ぼうという考えらしい。
おあつらえ向きというか、なんというか、うちで販売してほしいと持ち込まれた焼き菓子があったのでそれを試食しようということになった。

「スコーン、マドレーヌ、ビスケット……。だと、ブルマンが無難かねぇ。」
「ええ、同意します。」
ブルマン……ブルーマウンテンを取り出すと蔵之介さんは鼻歌を歌いながら手際よく作業を進めていく。
蔵之介さんが歌う歌はジャンルが幅広く、まるでラジオを聞いているような感覚になる。
お気に入りの曲が見つかると、どうしてもそれをリピートするのでこちらもなんとなく覚えてしまうのだが、口ずさんだメロディが変わっていることに気づいた。

「昨日まで歌っていた曲とは違いますね。新しいお気に入りですか。」
「あ、そうなのよー。気づいちゃった?」
「ええ。なんていう曲なんですか?」
「これはねー、『AtoZ』って曲で、アイドルオーディション番組のオリジナル曲なんだよ。」
そこからはその楽曲の良さやパフォーマンスをした女の子たちへの賛辞がとまらなかった。
淹れ終わったコーヒーをトレイに乗せて運び終えるまで、熱のこもった解説が続いた。
私が軽く温めた焼き菓子を持って合流して、やっとその口はおしゃべりを止めた。

「ごめんごめん、ついしゃべり過ぎたよ。ああ、これは美味しそうだね。ちょっと洋酒の香りもするね。」
「洋酒が入っているのはマドレーヌです。こちらは紅茶のほうが合うかもしれません。」
それもいいねえ、なんていいながら二人でマドレーヌを手に取る。
木製の小型ナイフをフォークの代わりに使い、食べやすい大きさに切って口にいれるとバターと洋酒がじゅわりと口内を暴れまわった。
美味しいけど、お酒に弱い人にはきついかもしれないな。
もぐもぐと口を動かしながらメモを取る。

「僕には嬉しいけど、お酒に慣れていなかったり洋酒が苦手な人にはちょっときついかもしれないね。合わせ方でもかなり美味しさが変わりそうだ。」
自分の感覚が間違いでなかったことにほっとしながら、メモに“蔵之介さんも同意見”と書き込んだ。
「やっぱり、紅茶も淹れましょう。」
「それがいいよ。でも、せっかくだからコーヒーとのペアリングを一巡しちゃおう。」
スコーンとビスケットはマドレーヌとうってかわって素朴な感じがして、同じ人が作ったとは思えない味の幅があった。
私が面白さと美味しさを噛みしめていると、蔵之介さんがこんなことをきいてきた。
「今月はどうだった?」

蔵之介さんが私と会ってから毎月、その月の最終営業日が終わると必ず聞いてくれる質問だ。
「そうですね。売り上げや客入りは良かったと思います。新入生や新社会人の方で初見の方が多かったですが、リピーターになりそうな方が多い気がしてます。作家さんたちの作品がそこそこ売れたのは新生活のためでもあるんでしょう。売れたものの代わりに新しいデザインのものが入ってきてお店の雰囲気も少し変わったし、常連さんが楽しそうにしてくれてよかったです。今月は比較的穏やかに過ごせたと思っています。」
「うん、それは何よりだ。お疲れ様でした。」
「はい、ありがとうございます。」

蔵之介さんの「お疲れさまでした。」を聞くと、なんとなくちょっとほっとする。
手帳にメモを残すのは大事な儀式だけど、蔵之介さんとのこのやりとりもだいぶ儀式っぽいなと思っている。
個人事業主として上司も部下もいない私にとって、こうやって上司のような振る舞いをしてくれる蔵之介さんはありがたい存在だ。
勝手にカウンターに入ってきたり、お客さんとの間に入ってきたりするけれど。

「作家さんの器といえば、あのほら、カフェオレボウルちゃん。いつ頃に取りに来ると思う?」
「どうでしょうか。お迎えする準備ができたらって仰ってましたし、もうすこし先になると思います。彼女は新生活が始まったばかりな気がするんです。だとすれば、家がまだ片付いていないのかもしれませんから。」
「たしかにねぇ。余裕のなさそうな感じがすごかったもんね、彼女。そうじゃなきゃ、初めてのお客様にカフェオレボウルなんて選ばないでしょう。」
「……あの方には、ここにいる間だけでもスマホを触らないでほしかったんです。それに、少しでも長く、ゆっくり過ごしてほしかった。ただそれだけです。理由とか背景なんて知りませんし、私が知る必要のないものです。」
「まったくあなたは。」

お湯が沸いたのをきっかけに会話を強制終了させ、私はカウンターに戻った。
お茶を淹れているあいだ、客席の方から『AtoZ』が鼻歌だけでなくなんとなくの歌詞と一緒に聞こえてくる。
ちょっといい声のおじさんが歌うとあまりにもバランスが悪いその曲は、爽やかな片思いソングでありながら、恋愛だけでなく友情にも、それこそアイドル相手にもあてはまりそうな広がりを感じられる歌詞だった。

はじめて気づいた、出会えた、話せた。
そんなよろこびの芽を吹く、四月。

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