九龍叙景

僕はこの文章が書けることをとても嬉しく思う。

ずっと前から名前だけ知っていた尖沙咀という地名をついに目の前にし、古いMTRに残る埃っぽさや湿気もすべて愛おしい。
深夜特急、アザレアの心臓、恋する惑星、いくつものアプローチからこの街への想いを募らせた僕は今ようやく MTRの駅を出て、九龍半島でもっとも有名な道を探す。香港の街歩きを始めるにあたって僕はどうしてもそこから出発したかったのだ。
僕は目の前の通りの名前をとりあえず知るべく黒縁に白地の看板を見やる。名を知ると僕はなんだ、という気持ちになると同時に期待と高揚につつまれた。
僕が探していた彌敦道・ネイザンロードとはまさにこの目の前の通りだったのだ。
看板と写真を撮る観光客。この辺りはどこが整然としていて、もっと混沌とした景観を探すべく僕は北に向かって歩き始めた。

11月の香港は快晴で、写真を撮りながらどこまでも歩いて行けるような気候だ。望右、的士、大厦、道に沿って湾曲した高層建築や広い道をぶっ飛ばすミニバス、日差しを受ける赤や金色の2階建てのバス。
行先表示や建物には渋い書体の繁体字にクラシカルなイギリス英語が組み合わさる。そのどれもを目を追わずにはいられない。

昼飯を求めてネイザンロードから逸れ、カーナボンロードに入る。一本入るとそこには僕がずっと見てみたかった香港のネオンサインを見ることが出来た。宿泊施設や遊技場、なんの店なのかすらわからないものもある。意味が理解できるようでできない漢字と英語の看板は夜になればサイケデリックに光るのだろうが昼間は穏やかな色彩を呈していて、それでも道に大きく跨るその姿を写真に移さずにはいられなかった。
そして僕はこのカーナボンロードを滞在中よく通ることになる。

近くの店でローストグース、ガチョウを食べて小休止し、ギアを上げて佐敦まで歩いたところで彌敦道から一本ずれるとまた街並みは一変する。
裏通りには未だに古いネオンが日陰に映え、ガソリンや逆光がもたらす光のカーテンの中に生臭い空気とともに揺れる。
フィルムカメラを取り出して写真を撮っていると真横をミニバスやトラックがすり抜けていく。ここはあまりにも楽しい。

まさに僕が見たかったような看板たちに目移りしながら進むと最早どこにいるのか分からなくなる、そうして彷徨っていると急に再び魚や野菜や肉の匂いが強まり、背の低いテントが道に展開された活気のある通りに出る。
煤けたそのいくつもの屋根は赤青青赤赤と並び、服を満杯に掛けたテントもあれば何やらわからない食品を売っていたり籠に野菜が山積みになっていたり、凹んだアスファルトにはあちこち水溜まりが出来ている。低い空には中国と香港の旗が遠くどこまでもはためく。こんな光景を見せられて、僕はどうすればいいのだろうと思った。
どこまで進んでも話し声は絶えず、その廟街という場所を抜けると廟街の名の通り廟と公園が現れる。市民に混ざってそこで休憩し、油麻地の駅へ歩いた。

彌敦道は夜こそ本番だ。みな夜を待っていたようにざわめき出し、九龍公園のなんだか歴史がありそうな建物は真っ白にライトアップされる。
スターフェリーの埠頭辺りこそお高くとまっているようだが少し進んで重慶大厦の前まで来るともうそこは混沌のさなかで、四方八方から聞こえるのは車のクラクション、路上シンガーの歌声、何語かもわからないさまざまな言語言語言語、やたらと多い薬局の店頭音楽。道行く人は熱に浮かされたような足取りで大通りを闊歩し、僕もそれに続く。

重慶大厦に入ってみればなんだか周りは旅行者風かインド人だらけになりなぜか何回も入っていると安心する。
適当にインド人のやる料理店を冷やかして、目当ての店の前をふらふらしていると愛想のいい店員がどれがいい?チキンか?カレーか?と聞いてくるのでビリヤニをこれだと指差し、流れるように席について冷えたコーラをもらう。
目の前の狭い通りは日本で言えば中野ブロードウェイだろうか、インド人たちが音楽を流したり仲間内の店を行き来して金銭を交換したり腹ごしらえをしたりしている。僕はこのあまりに現実離れした状況に思わず楽しいな、と零す。チキン入のビリヤニは安いのにすごい量でだいぶ食い切るのに苦心した。
今夜の宿はこの重慶大厦にあるからこのまま直行してもいいのだが、僕は喉を潤したかったので再びネイザンロードからカーナボンロードに入り、コンビニで美味いのか不味いのかよくわからない梨味のお茶を買う。
一口二口飲んで遠くに光るホステルのネオンサインに目をやり、写真を撮る。いくつもの窓に灯りが点っている。この道だけでなくあの灯りのもとにも人が居る。香港で過ごしていると旅先の孤独とは無縁だった。いつも誰かが居る。何かがある。ここは僕の憧れの街だ。

素晴らしい多幸感を転がしてネイザンロードに戻るともう22時を過ぎていた。多数の雑居ビルが寄り集まる坩堝というかブラックボックスのような重慶大厦に僕は再び吸い込まれる。
宿の窓からは沢木耕太郎も眺めたのだろうか、雑居ビルの真っ黒な壁面にいくつもの狭い窓と不規則に伸びる配管が見える。ところどころに明かりが灯る窓の数々はどこかコンピューターの回路を思わせる。明かりを消しても窓の向こうでは誰かの生活の気配がする。

明日は新界に行こうか、それとも香港仔にでも行ってみようか。意味もなく船を乗り回してみるのもいい。早餐ももちろん欠かせない。
僕はいま香港に居るのだ。

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