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私にとって海苔巻きご飯が人生一番のご馳走だった。
昼休憩でお局に、「自炊はするの?」と聞かれた。
せいぜい作ると言っても、野菜を炒めるか、煮るか、麺類をゆでるかくらいしかしていないため、私は、「全然しないです」と答えた。
するとお局は、「将来困るわよ。今から練習しておかないと。未来の旦那さんにまずい手料理食べさせるつもり?」と言ってきた。
一人暮らしの自炊は、お金がかかる。
毎日同じものを食べることは嫌だった。
スープ、野菜炒め、麺類、総菜のローテーションが一番楽で体に合っていて、一番お金がかからなかった。
一人暮らしの初めのころは楽しくて、ハンバーグや唐揚げ、肉じゃがやカレーに天ぷら、凝ったイタリアンなんかにも挑戦した。
出来立てだからそれなりにおいしくて見た目も満足したけど、たいていの料理一人分で作ると食材が余るし、余分に作ると食べ過ぎる。
以上の観点から、私は作ることを辞めた身だ。
そもそも旦那さんに料理を作らなければならないことが間違っている。手料理を食べたいなら自分で作ればいいし、作ってもらうなら文句を言わなきゃいい。(もちろん共働きの前提で)
そういうことを柔らかい表現で伝えると、お局も一度は納得したが、「でも、子供には手料理食べさせてあげないと」と反論してきた。
ここからが本題だ。
私が初めて好きになった食べ物。
それは、海苔巻きご飯である。
具材のたくさん入った太巻きとは違う。
茶碗に出された白米を、おにぎりを巻く味のない細長い海苔をさらに8等分にちぎったその海苔で巻き、しょうゆにつけて食べるという、超貧乏飯である。
もともと私は二人目だったこともあり、母は離乳食に力を入れなかった。
普通のご飯でも、硬いものや、軟骨、ソーセージの皮を嫌った。逆に内臓のある焼き魚やピーマンなどの野菜は好んで食べた。
しかし私の姉は私と正反対で、野菜嫌い、米も嫌い、食も細い子だった。
親からすれば何とか姉に食べてもらいたいわけで、夕食には唐揚げが出ることが多かった。
母は頑張ってくれていた。
見える範囲で、触れる範囲で軟骨や筋を取り除いた。
しかし、奥深くにヤツは眠っている。
それと出会ってしまった瞬間、私の主菜は消えてしまう。
そうなってもなお、ご飯を食べたがる私に母は海苔を与えた。
キッチンバサミで切るその音が、なんとも幸せだった。
家は米も祖父母の畑で作ったものでいいものとは言えないし、炊飯器なんかすごく古かったからおいしく炊けてるとは言えない。
それでも私は、海苔でご飯を巻いてしょうゆにつけて食べた瞬間が一番贅沢をしている気分だった。
正月のおせちよりも、誕生日でお腹いっぱいになった後に出てくるケーキよりも、クリスマスのローストビーフよりも、海苔巻きご飯が私に幸せを運んでくれていた。
話は戻る。つまりだ。子供は親の手料理なんか気にしていない。
ただ、問題点は少なからずあった。
「好きな食べ物なんですか」という質問だ。
先生も友達も悪気があって聞いてくるわけではない。
保育園時代は「かわいい」で終わっていた。
しかし小学生になったとたん先生から「あの子の家庭事情あり」みたいな目で見られるのである。
それ以来、好きな食べ物は、別に好きでもないハンバーグになった。
私はこのことを後悔している。
恥ずかしいと思ってしまったことを後悔している。
堂々としていればよかった。
好きを無理やりかき消して、好きでもない食べ物好きになろうと食べて、思いを押し殺して、今でも無性に食べたくなって食べることがあるが、あの時ほどの感動は現れない。
だからもし、私に子供ができたら、いろんなものを作ってくれるお母さんよりも、好きなものを否定されても好きでいさせてくれるお母さんになりたい。
下手な料理でも、出来合いのお惣菜が好きでも、貧乏飯でもなんだっていいと思う。
てかなんなら私、料理別に下手じゃないし、高校まで家族の料理作ってたし、その気になればできんのになあ。
メニュー考えるのがめんどくさいだけで、これ食べたいって言われたらニコニコしながら作っちゃうのになあ。
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