咲きそろう

緑が綺麗な季節になりましたね。そして、花々も勢いをつけて咲き誇っています。なんて、評論家の様な書き出しですみません。
ツツジにしても皐月にして花水木にしても、一つの狭いエリアで見ていくと、なぜこんなふうに一斉に同じ種類が花を咲かせるのでしょう。
不思議だと思ったことはありませんか。

だからこそ、気候の変化につれて咲く花の種類が移り変わり、桜なら桜だけを追っかけるカメラマンが存在できることになるのです。もし、桜が気温の蓄積で開花するという性質が無くて、気紛れに全国で一斉に咲いてしまったら、桜前線を追いかけることができなくなり、カメラマンはピンポイントで毎年狙う場所を固定するか、選択するかを決めなければならないことになります。

ソメイヨシノは一本のクローンが全国に広まっているとのことで、開花条件が整えば、同じ条件下で咲く=高緯度地方ほど開花が遅れる→桜前線の発想が生まれる…という流れは納得できます。

しかし、一般人の普段の行動の範囲でも、かなり広めに行動するにとってみても、同じ種類の花が咲き乱れる光景は普通に見ることができます。その理由を追求することになったら、かなり多くの時間を費やさないと、結論まではたどり着けないと思いますが、かといって、ネットで安易に結論だけを検索することの無意味さも骨身に沁みて分かっていることなので、妥協は選択外です。

ネット社会は、安きに流れるような行動をとりやすいことは否めませんが、あくまでも一般人の意見が大多数を占めていることに思いが辿り着けば、それは烏合の衆の雑多なおしゃべりに過ぎないことに気が付きます。
だからこそ、自分で基本に忠実に「調べて」「解釈して」「議論して」「納得できる結論」に辿り着くといったプロセスを経ることが重要になってきます。

これは、自分の経験だけをもとに小説を書き始めると、すぐにネタが尽きて長編小説に挑戦できなことと大いに関係します。豊富な経験と知識とを積み重ねた上で、すべてをぶちまけるのではなく、場にそぐう内容の言葉を紡げるようになって初めて、人の心を打つ小説が書けるのだと思うようになっています。

花の話からちょっとした訓示っぽい展開になってしまいましたが、苦労して手に入れたものは、しっかりとした経験をもたらし、そこから体得した知識は知恵となって自己の確立に力を貸してくれます。
この感覚は、まさに人が花開く人生を送れたかという、終活にもつながる話です。


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