![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/73955073/rectangle_large_type_2_1e5bb1b1209f0b7bac26531b11840150.jpg?width=800)
ウクライナ、これからの日本、私が感じたこと。
2022年2月24日。ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始しました。
インスタグラムでシェアされるキエフの様子、Twitterで流れてくるウクライナ在住者の声。SNSが普及したことで個々人が現地の様子…。
状況がありありと伝わってきて、正直目を向けるのもしんどかったです。ウクライナの情勢を見て、考えたこと/感じたことがたくさんありました。その中の幾つかを言葉に綴っていきたいと思います。
(途中から有料になります。ご了承ください)
大きな国の争いと、身近な火種
戦争とは、武力を手段とした行為です。同時に対話の放棄であると言えます。ロシアにもウクライナにもそれぞれの正義があり、物語があります。その正義を共有と理解ができなかったことが悔やまれます。でも、ふと日常をふりかえらと、私もよく対話を放棄しています。
例えば、話し合いで「もういいよ、好きにすれば」と匙を投げたことがあります。相手の意見を理解することを諦めています。
以前、こんなことがありました。夕食の候補が「お寿司」と「カレー」に絞られました。どうやって決めようか話していたところ、一人が寿司屋を予約してしまい強制的に「お寿司」に決まりました。
前者は対話を一方的に放棄してしまっています。後者はさらに、既成事実を作り自分の主張を勝手に押し通してしまっています。
両方とも暴力的に、他者の身体を傷つけてはいません。でも対話の放棄というところで戦争と通ずることは身近にたくさんあります。これが家族間の話なのか、国家間の話なのかの違いなのでしょうか。大きな争いも小さなすれ違いからです。ウクライナとロシアの状況から、自分の身近な火種との向き合い方が刺さりました。どんなに小さな単位でも対話の放棄を行わないように努力していきたいと感じました。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?