ディスプレイに囲まれる未来を考えてみたら生まれてしまった気持ち悪さ

今やいろんな所にモニターというかディスプレイがありますよね。スクリーンと言ってもいいのかもしれませんが。。。テレビ、スマホ、タブレット、店頭のサイネージなどなど。なんか、どこかで見ましたが車のサイドミラーもモニターになって映すとか。もう世の中ディスプレイだらけです。

「私」へ情報を寄せたスマホ

テレビやスマホなどもともと「画面を見る」という行為を目的にしてるものはディスプレイがどうしても必要ですし、iPhoneからそのディスプレイに触って操作するという状況になりました。この段階で大きなブレイクスルーが起きたわけですが、これはディスプレイに触ったというよりは「情報をフィジカルな方向に寄せた」と言ってもいいでしょう。ただこの寄せた方向はどの向きかというと「個」です。私へ寄せたというディスプレイができたと言ってもいいでしょう。

効率化と動きを見せたデジタルサイネージ

その先、世の中はあらゆるものがディスプレイ化しています。特に目に見えるのがやはり街角のサイネージです。ここでテレビやスマホの方向とは異なるディスプレイの波及の様子があるのですが、確かに情報を発信するためにディスプレイ化したのですが、掲示板からの進化ですね。ポイントは「動く」や「デジタルデータで可変にできる」というところでしょうか。

確かに中には、個人を特定(個人を認識)してその人にあったものを・・というものはありますが、大衆の場ではそれは無理に近いです。たくさんの個人にそれぞれに適用させるのは不可能でしょう。

ちょっと考えたら気持ち悪いスマートミラー

そこで最近出てきているのが「鏡をモニターにする」というやつスマートミラーですね。これは「個」に向いていますので、でっかいスマホという発想になってくるのでしょう。ただ、ここでおそらく少し気持ち悪さが出てきます。鏡というのは、少し大衆感があるように思います。例えば試着室がスマートミラーにというようなシチュエーションはありますが、ふと思うわけです。

撮影されているものが映っているんだよね

これが気持ち悪さです。スマートスピーカーが盗聴してるという感覚と似ているようにも思います。スマートスピーカーの場合は音だけですが、スマートミラーのようになると完全に「私」が映されるわけで気付いた時には気持ち悪さが残ります。スマートミラーは何か大きな壁があるようにも感じます。

情報の向かう向きがディスプレイ活用の鍵?

「外」と「私」の間にあるディスプレイは今後増えていきます。そのときに、この情報の向かう向きが許せるか許せないかが活用発展の因子になるように思います。未来はおそらくディスプレイの山。そこに映し出される情報はどこまで「私」に向いているのか。もしかしたら、逆の向きを私たちは許していくのか・・・。そんなことを考えたのです。

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!