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PFPに感じること

PFPってご存知ですか?
いわゆるSNSのプロフィール画像です。

どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。よかったらフォローやスキ、コメントいただけると嬉しいです。ツイッターのフォローもお願いします!

NFTの話題が出てくる時によく聞く言葉の一つではあります。
どうもNFTという文脈においては、
このPFPの画像(この表現少しおかしい)が
普及にキーワードのひとつになっているようです。

NFTで購入したPFPを自分のツイッターのアカウントの画像に・・

なるほど、そういうのもあるか・・と思うのですが、
どこかで自分で思ってしまうことがあります。

それは、

プロフィール画像ってあんたじゃないとダメなんじゃない?

って気持ちです。わかってます、古いことは。
でもどこか、このPFPという話題を聞くたびに
SNSがどんどん匿名性を助長しているような気がしてくるのです。

僕はご存知のとおり、
あちこちで自分の写真を使ってプロフィールを出しています。
noteでもツイッターでもfacebookでもなんでもです。

過去、そこにいわゆるイラストであったり
作品とされるものや写真を使ったことはありません。

それは「個」を出すからです。

それがPFPになったら、NFTで購入した画像になったら、
それはあなたなのか?という気持ちです。
何度も言いますが、古いことはわかっています。

・・・ってことを考えていながら、
メタバースの本やいわゆるWeb3系の情報を読んでいると
なるほどそうかという感覚も得てきたのが最近です。

それは、「アバター」という考え方。
僕はどこか「個人のアカウント」ということで
考えのベースを持っていますが、
「仮に僕が持つアバター」という感覚になれば、
確かにそれは僕と判別される必要はありません。
もっといえば、
例えばメタバース空間で僕は僕を正確に3Dモデリングすることは
今のところできないわけです。

そう考えるとPFPも少し理解できるかなという感じは
あります。アカウントではなくアバターだと。

そうなると、Web3的な世界ではなく
Web2的な世界であったとしても複数人格を持つ可能性がありますね。
いや、表アカウント、裏アカウントというような
世界はすでにあるので、それは片方は自分ですが、
もう片方はアバターなのかもしれません。

そう考えた時に、
どっちが自分だろう?ってことになるような気がします。

人はもともと立場や環境に応じて
性格を使い分けます。
例えば、人前の自分と家の中の自分は異なります。
それだって十分なアバターだといえるかもしれません。

PFPを考えていくと
本当にいろんなことを考えてしまいます。


いずれにしても、自分だといえるものを
どこかに置き去りにしないように気をつけないといけないな
これは本当に大切な考え方のように
思えてなりません。

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