見出し画像

正しいこともポイントを外すと間違って伝わる

本人は正しいことを言ってるつもりでも、伝えるポイントを間違ってしまうと結果として損をすることがあるということについて今回は書きます。

結論だけを見ると、至極真っ当なことになるのですが、その伝え方、そしてその文脈を間違うと全く見当違いの話をしてるように捉えられることがあります。「いや、そんなつもりではないのに」とか「あれ?同じこと言ってるのになんであっちには賛成でこっちを責めるの?」ということ、経験のある人もいるのではないでしょうか?

なぜこんなことが起きるのかというのを大きく3つの問題として整理してみます。

1.論じるポイントが局所的
2.見合った背景でない
3.言葉づかい

1.論じるポイントが局所的

まず、「論じるポイントが局所的」ということについてですが、ポイントをついて話をすることは正しいのですが、その領域が狭すぎると個人の都合的要素が強くなります。その人の都合のように聞こえてしまっては、影響力がある人であれば別でしょうが、大抵の場合「なんで合わせなきゃならないんだ?」という気持ちになります。

またポイントが局所的になると融通がきかないようにも聞こえますし、少しのズレが許容されない雰囲気を与えます。

具体的にしないとしっかり理解されないということもありますが、それは話の持って行き方もあります。何を言いたいのかということと、それを伝わりやすくするためと横道とを区別することが大切です。

2.見合った背景でない

続いて「見合った背景ではない」についてです。これは単純に「お前がいうな」というやつです。別に立場がどうこうではなく、やはり普段の生活がちゃんとしてなければ、その言葉の説得力は薄いです。

言いたいことを言うならば、言える背景をもたなくてはなりません。「わきまえる」という言葉ではなく、言うだけのことを普段からしておくという至極当たり前のことをです。

3.言葉づかい

最後に「言葉づかい」です。やはり伝えるとなると言葉つかいは大切です。しゃべりならば、抑揚や語気です。文章なら緩急ですかね?とにかく、人任せにせず反対されようがその人の個性を出して戦うことが本当に大切です。

相手に対してうまく言葉を使い、普段からちゃんとキャラを作る中で暮らしを整えておくことこれはどんな場合でも共通でしょう。そして、少しでも広い視野での会話が重要です。

話の重心をずらさないように

言いたいことの本質が中心にあって同心円状に話が展開されていけば、聞いている側も本質にたどり着きやすいですが、同心円状ではなくいびつな形でアメーバ状に話が展開されてしまうとき、どこが本質かがわからなくなります。話の重心というのでしょうか、重心が複数あるようにも思える場合もあったりするでしょう。そうすると結局間違って伝わったり、変なイメージを持たせた状態で本質が伝わったりすると思います。

概ね、話したいことが整理できていない時、そしてその話題に自信がないときにそのような状態になる傾向にあるように思います。整理できていないから、混乱する。自信がないから修飾語が増える。はっきり言って、一朝一夕にできるような能力ではなく、たくさんの失敗の上に成り立ちます。ただ、ポイントは「失敗」と受け取れるかどうか・・・だと思います。




もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!