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質問を無理やり作っていい時と無理やり作っちゃダメな時

会議やセミナー、打ち合わせなどなどコミュニケーションの場において一番手っ取り早いツールに「質問」があると思います。実際、ウェビナーや最近はライブコマースのようなものでも結局は質問があるのとないのでは全然そのイメージが違います。

さて、今回のタイトルに書いています「無理やり」というやつです。当然、質問というものは無理やり出すものではなく、自然に気になることを問うことなのです。そうなのですが、時々この「無理やり」が必要な場所があるのです。

「無理やり」がいいとき

例えば、場を活性化させるために「わざと」質問をするということがあるでしょう。呼び水みたいなもんですね。実際ライブコマースなどでは、誰かの質問に共感があつまり、それがきっかけでコミュニケーションが活性化することがあるようですね。

この「わざと」を誰がやるかはさておき、無理やりに口火を切るという行為は必要です。

例えば、もう少ししっかり考えたい時などです。質問をすることで答えなければならない相手のポジションが生まれます

ついつい簡単に考えてしまっていた事柄ってあるじゃないですか?その時に「今ここできちんと土台を合わせておかないと!」ということで「無理やり」質問をします。

それによって、考えるきっかけを与えるということがあるわけです。まぁ時々「今それいうなよ」みたいな空気になることもありますが、いわゆる「そもそも」をきちんと固めるためには必要な時間と僕は思ってます。

以上のようなものは、質問を「無理やり」作ってもいい時だと思っています。

では、質問を「無理やり」作っちゃダメな時とはどんな時でしょう?

それは、「質問しなきゃならない」が先行する時です。もっと言えば、質問の目的が質問をすることでしかない時です。

ちょっと具体的に言いますが、例えば会議において、上司の目があるから配役された人が発する質問

んもう、最悪です。もう一度言います、最悪です!

だって質問された側は答えなきゃならないわけですが、質問した側は答えを望んでいなく質問することが全てになってしまっているわけで、答えなんか聞く耳がないときがあるわけです。

答えても「はい、ありがとうございます」と乾いた感想がくるだけです。

こんな質問はしてはいけません。絶対にしてはいけません。


なぜこんなことが起こるのか・・

それは、質問の目的を履き違えるからです。何のために質問をするのか、質問をすることで何を生み出すのか、そこを考えていないと、誰も幸せになりません。ぶっちゃけ、先ほどの悪い例の方の質問をしたとて、あなたの上司は簡単に見抜いています。

もし、そういうタイプの質問なのに、「いやぁ質問が出てよかったな」という感想をもつような人なら、まぁおそらくご自身もそういうタイプだったということでしょう。 #毒を吐きました



とにかく、質問はコミュニケーションの一つです。いつも言いますが、わざわざ悪いコミュニケーションを作る必要はないのです。・・であれば、自ずと質問というものに対する姿勢が変わってくるのではないでしょうか?


もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!