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「すごい」と「憧れる」が違うもんだと知る

少し野暮な話だと思います。お付き合いください。

僕はどこか「すごい」と「憧れる」が近い位置にあるものだと思っていました。すごいなぁと思う人に対して僕自身が憧れの気持ちを持つことが多いからです。それは別に一人ではなく、多くいます。

そんな気持ちで暮らしてきているわけですが、どこか自分も生意気ながら、「憧れになりたい」と思うようになりました。

僕が憧れを抱いた人は近くにいたわけではありません。

遠くに、遠い世界にいる人たちです。ぶっちゃけ約15年前。東京で暮らすことになるまではそうでした。遠くに、遠い世界にいる人たちでした。

ところが、あるときそれが間違いだったと知ります。

同じ職場のやつが、そういう「憧れの人」の近くにいたのです。「憧れの人」の近くで仕事をしていたのです。それはキラキラしてるように見えました。たぶん、キラキラしてたと思います。


そんな環境にいた、影響されやすい男である私、稲本浩介は「あ、俺もそんな世界に行きたい」と思うようになりました。そして「あ、俺も憧れられる人になりたい」と思うようになりました。


冒頭で話したように、僕の場合、「憧れ」と「すごい」は近い位置にいたので、「とことん、すごいと思われよう」と、それなりの努力をしました。

様々な場所にでて、多くの仕事をおこない、どうやったらスビードとクオリティを両立できるかを考え、数多く失敗をして、数多く怒られて、考えを曲げず、しかし柔軟に、枠に囚われず・・・とやってきました。

その結果、おかげさまで社内では、まぁまぁ「すごい奴」と言われるようになってきました。よし!少しは「憧れの人」っぽい気配はしてきたかしら・・と思っていたのですが、ここが大きな計算外。


タイトルの通り「すごい」と「憧れる」は違ったのです。


正直、まいりました。「憧れ」とか「目指す先」という線の上にどうやらおらんようなのです。いやいや待て、「すごい」って思ってくれてるじゃん!って思いますが、それはそれ。


「すごい」と「憧れる」は違ったのです。


どうもそうじゃないかな・・と思っていたのは、ここ数年。


確定してきたのはここ数ヶ月。


ぶっちゃけ「あれ?」って感じなのですが、まぁここまできてしまっては仕方がない。計算外でございましたというしかない。


ちょっと違う形で「憧れられる人」になれるよう、現状を維持しつつ違う策を考えようと思います。

そう、これも頭を使っても面白おかしく考えればよいのです。笑

もし気に入ってもらえたら嬉しいです。情報の発信とコミュニケーションについていろんなチャレンジをしていきます。どうぞよろしくお願いします!