【追悼=田中邦衛(2021)】
悪役なのに人懐っこい笑顔、朴訥としているのに信念は曲げない。そんなギャップが魅力の人物を数多く演じ、ドラマ「北の国から」では日本の永遠の父親像まで創り上げた田中邦衛が亡くなった。「北の国から」の復活と田中の再登場を願っていた国民の多くはその突然の訃報を受け止めきれない思いだが、出演映画はゆうに100を超え、共演者やスタッフにも愛され続けた根っからの俳優人生を見事なまでにまっとうした、その生きざまに温かい拍手が送られている。
田中邦衛は、2021年3月24日午前11時24分、老衰のため死去した。享年88歳。
★続きは阪清和のエンタメ批評&応援ブログ「SEVEN HEARTS」でも読めます(劇評など一部のコンテンツは有料ですが、追悼記事は無料です)
戦前の1932年、岐阜県・土岐津町に生まれ、岐阜県内の高校を経て、千葉県内の短大に進んだ。
いったんは岐阜に戻って代用教員として勤めていたが、役者の道を志し、1955年に3度目の受験が実って俳優座養成所に合格した。
アクション映画の悪役などを務めていたが、1961年公開の若大将シリーズ第1弾映画『大学の若大将』に出演。加山雄三演じる若大将のライバル役だがコミカルで愛嬌があることから人気を集め、レギュラー出演者として名を連ね、「青大将」と呼ばれた。
黒澤明監督の『悪い奴ほどよく眠る』に殺し屋役として出演。同じく黒沢監督の『椿三十郎』にも出演するなど、巨匠監督の作品に多く参加した。
苦み走った風貌は東映の任侠路線でも威力を発揮し、『網走番外地』シリーズや『仁義なき戦い』シリーズに連続出演。テレビドラマ版と映画版の『若者たち』では主役の長男役を演じている。
テレビドラマではわき役が多かったが、1981年に倉本聰の脚本で始まった「北の国から」では主人公の黒板五郎役に抜擢された。
妻との離婚後、24人の子どもを連れて故郷の北海道に戻り、自給自足の生活を目指すという「テーマのなにもかもが早すぎる」ドラマに挑戦したが、その違和感が倉本のエンターテインメント性あふれる脚本の文学性と、田中が演じた五郎の朴訥としていながらも信念を貫くキャラクターが混ざり合って、唯一無二の魅力を放ち、ドラマはスペシャルドラマをつなぐかたちでシリーズ化。2002年に放送された「北の国から2002 遺言」まで長期にわたって、日本人の生き方や精神性にまで影響を与えるドラマとして愛された。
★ドラマスペシャル「北の国から 2000遺言」Blu-ray=amazon
「北の国から」終了後も映画やドラマで印象的な役柄を演じていたが、体力の衰えなどから2010年の映画『最後の忠臣蔵』出演以降は自宅などでリハビリ生活を続けていた。
2012年に「北の国から」の劇中で五郎の最大の理解者である中畑和夫を演じた地井武男が亡くなった際、お別れの会で「地井にぃよー、会いたいよー」と叫ぶように呼び掛けたのが公の場で見せた最後の姿となった。
私は田中さんには直接インタビューはできませんでしたが、何度か富良野取材を許されるなどドラマ終了後の周辺の取材は断続的に続けており、田中さんの体調さえ戻れば「北の国から」を復活させたいと願っている人々の思いを少なからず耳にしていました。
田中さんの他界はとても残念ですが、これで、「北の国から」は本当の終わりを迎えると同時に、永遠の命を手にしたとも言えるような気がします。
心より哀悼の意を表します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?