ジャニーズ、吉本、昭和の終わりのその先に

とっくの昔、少なくとも2010年前後には、一般企業ではアウトになっていること、あるいはアウトにならずとも、社内で後ろ指をさされるであろうこと、それは例えば「客との飲み会にチームの女性社員を誘う」とか「若手に単純作業を押しつける」とか「タスクを振る割に、超勤は抑えろ的なクソ労務管理」などが、それにあたるが、こうした認識は、90年代の分煙のように一気に拡がった気もする

そうしたことに始まり、ビジネスマンのような言葉づかいはダメよ(ビジネスパーソンね)、男性社員に「育休頼むからとってよ」、女性社員に「女性管理職、頼むからなってくれよ」的な、逆に過剰すぎる「まともなホワイト社会への」プッシュがKPI化され、やや、バックラッシュ的な課題も散見される

そのような動きの進行には、多寡はあったとは思う。それは、所属集団の先進性だとか業績規模などではなく、キャリアとしてつぶしが効くか、個としてプロフェッナリティがあるか、は、結構大きい気がする。逃げ場のない業界は、プレッシャーを受けやすい。本人が選んだといえばそれまでだが。少なくとも、私はコンサル業界にいて、そのホワイトへの変貌スピードは非常に早かった。隔世の感があった。そして、そうでなければ、良い仕事もできないし、人も集まらないということにも気づくのであった

簡単にいえば、金融(メガバンはどうかはあるが)、コンサル、ITなどの業界は、その会社がブラックであるなら、社員はどんどんいなくなるだけだ。相対的に、スキルをパラメータ化しやすく、多くの社員はポータブルスキルを持ち、会社にディペンドしなくても、生きていける。一方、放送、広告、官僚などの世界はどうか。基本的に、ムラで生きていくしかない。だから、先輩や取引先の、セクハラ、パワハラ、見て見ぬふり、になる。あるいは自刃に向かう悲劇もある。あくまで傾向性の話

松本人志の件、ジャニーズの件、安倍晋三(献金とか)の件、をまとめるのは乱暴だが、相対的に、弱き人、虐げられた人の告発や行動によるものだ

そしてこれらが破壊したものは、もともと「弱き人」だったがゆえに、尻尾を振ってくれる仲間以外は排除する「パターナリズム」であり、システムとしての「ムラの掟をベースとした、タテ社会」に見える。
加害者は元々は弱者のメンタリティを抱え込んでおり、性癖云々を越えて、ルサンチマンを埋め合わせるように、復讐する過程で、昔の自分のようにルサンチマンを抱え込んだ市井の人間を生み出し、そうした方々の告発によって、追い込まれている

こうした景色、あるいは構図は、先述した通り、00年代に以降、徐々に労働市場から姿を消しつつあったものだと思う。最後の最後のプレッシャーに取り残された、広告やメディアのみ通用してきた昭和の遺物かも知れない。本当の意味で、良くも悪くも

24年が一般的な拡がりとして、ホワイト社会元年になるのかも知れない

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