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「自分を愛する」とはどういうことか考えてみた

よく目にする「自己肯定感」とか「セルフラブ」みたいな言葉は、一体どんな状態を示すのかいまいち明確にされていないと感じるので、「自分を愛すること」とは具体的にどういう事なのかを考えてみました。

「愛する」ということについて

愛という言葉も漠然としていて、人によって異なり、通じているようでいてあんまり通じていないような気もします。
「愛している」は感情だけであるように感じるし、「愛し合う」となると性行為を示す言葉としても使われる。愛とは感情だけを指すのだろうか?愛とはセックスの事なのだろうか?
スヌーピーで有名な漫画ピーナッツには愛についてのたくさんの名言が残されています。中でも「太陽のように感じる人の傍を離れないこと」「愛とは一緒の時間を過ごすこと」というふたつの名言は「愛し合う」ことを的確に言い表しているように感じます。
愛するとは愛を「する事」。行為なんですよね。何をするかというと、大切に思う人の傍に寄り添い、その人と共に過ごすことだと思うんです。
それは単なる執着とか、性欲を満たすための一時的な関係性ではなく、両者が共にお互いを生きる上での必要なパートナーだと認め合い、相手も自分も快適な生活を送る為に配慮と協力をし、互いの困難には協力を惜しまず、精神的にも身体的にも快適であり健康的であるようにケアをし合い、笑いあったり安らいだ楽しい時を共に過し、お互いの温もりを感じて、時には話し合い擦り合わせ、唯一無二・代替不可能な信頼関係を築くことなのでは無いでしょうか。
中でも「ケアをし合う」というのは非常に重要なのですが、残念ながら世の中には「家族をケアする」のは女の役割、男は「ケアを受けるだけでよい」というジェンダーバイアスが横行している為に、多くの男女が揉めたり別れに至ったりしているように思います。

ケアをするということ

自分を「愛する」というのも同じことだと思うんです。自惚れとか、自信満々に振る舞うとか、大口を叩いて虚仮威しをするとか、誇大妄想とか、幼稚な万能感とかでは無く、自分自身の体や心の健康の為に、快適な環境を整え、適度な運動や、バランスのとれた食事、お風呂に入って清潔を保ったり、ぐっすり眠ったり、趣味を楽しんだり、困ったことがあったら解消したり、誰かに相談したり、破滅的な依存行動から身を守ったり、そういうセルフケアによって自分自身を健康に保ち自分を大切にすることが、自分を愛するということだと思うんです。

横行する「自分磨き」という他人軸の暴走

日本は痩せ信奉が横行していますが、特にBMI18.5以下の極端な栄養失調は、生理不順、子宮内膜症リスク、不妊リスク、流産リスク、早産リスクなどの様々なリスクがあり、また認知機能低下、認知症リスク、病気の発症リスクや予後の回復の悪さ、早期死亡リスクなど、様々な不健康リスクが統計的に明らかにされています。
肥満が体に悪く、痩せていることは健康であると思い込んでいる人達が多いのですが、実際には真逆で、むしろ軽肥満くらいの人の方が認知症リスクも死亡リスクも有意に低い。
でもみんな肥満は嫌がりますよね。例え痩せが不健康で肥満が健康であると言われても、じゃあ太ろうと思う女性はあまりいないと思います。

時代によって美の価値観は様々だった

食料の乏しい中世の時代には、男性の富や権力の証拠として妻は太っていることが望まれた。
中国の纏足は、女は足が小さければ小さいほど良いという価値観で異常に足を小さくする為に行われ、またイギリスでは細いウエストが流行しコルセットで締め付けて、女性達は頻繁に失神し、死亡するケースも少なくなかったと言われる。

そして現代においては韓国美容整形により死亡事故を含め様々な健康被害が報告されています。


何故女性は自分の健康を害してまで極端なルッキズムに暴走するのでしょう。しかも全ての男性がそこまで極端なルッキズムを女性に求めているのかというと、実はそんな事はないんですよね。ふっくらした女性が好きだという人も少なくないし、コルセットも自分の妻が異常に細いウエストなのは嫌だという男性も少なくなかったそうで。

流行の画一的な美の価値観を追い求め自分の個性を捨てて別の誰かになろうとする究極のセルフネグレクト

顔も体型も他の誰かに変えてしまう。この世から自分という存在を消し他の誰かになり変わろうとする。量産型の画一的な「同じ」の中に自分を紛れ込ませる。生まれ持った自分を捨てて他の誰かになって初めて自信を持つことが出来る。
強い自己顕示欲や承認欲求、自己愛って、強烈な自己否定と表裏一体だなと思うんですよね。
その強烈な自己否定の為に、健康被害も死亡リスクも厭わないし、別に男性ウケさえも気にしてる訳でも無い。

改めて「自分を愛する」ということについて


誰かに「太っている」とバカにされた?「痩せすぎだ」と批判された?
そういうこともあるとは思いますが、基本的にはそういう奴には関わらなければいいのです。逆に誰もが認める美人ってルッキズムにチヤホヤされるんで嫌な奴の本性が分かりにくくて反社会的な人間と結婚するリスク高かったりするんですよね。後々考えるとそっちの方が余程痛い目にあったりすることも。
人間って身長も骨格も体質も様々なんですよね。なので健康的な生活やバランスの良い食事などで、心身の状態が健康的で幸福である状態には、画一的な数字の指標は必要無いと思います。痩せ型の人もいるだろうし、ふっくらしている人もいると思う。
そういう自分の心身の健康を保ち快適で幸福であることがセルフケアであり、ありのままの自分自身を愛するということではないでしょうか?

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