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どんな人が誹謗中傷をするのか


スマホの普及により多くの人たちがネットにアクセスするようになったことで度々問題視されるようになった「誹謗中傷問題」について、どのような人がどのような心理でそれを行うのかを考察してみたいと思います。

情報の信憑性を判断できず、共感性が高いが善悪の判断は曖昧

主に眞子さまの件でヤフコメユーザーと対話したのですが、まず彼らは週刊誌などから得られる情報、またネットの書き込みから得られる情報を、客観的事実かそれとも根拠曖昧な妄想や嘘なのかを判断するための基準を持っていないと感じました。

例えば「関係者の話では」や「~~のようだ」「疑惑」のような曖昧な書き方などは発信側当人が情報の根拠を意図的に曖昧に書いているのは明らかで、ほとんど100%嘘だと思って間違いないです。

「~なのではないだろうか」というような書き方は記者の憶測が書かれているだけであり、当然事実とは異なります。

また恰もその場に立ち会わせて目撃していたかのようにいざこざを書く記事もありますが、週刊誌の記者がそのようなプライベートに立ち会っている可能性は非常に低く、他人がいる前でもめる人も少ないと思います。まるで見てきたかのように書いてあることを鵜呑みにするのはとても危険です。

そして眞子さまの件でいえば「70代高齢男性」の一方的な主観的主張をそのまま事実として信じ込んでいる人たちが非常に多くて驚きました。

人間というのは自分が自覚しているかどうかに関わらず、自分が認識している主観的な記憶や感情が、客観的事実や他者からの認識と全く合致していることは非常に少ないものです。言った言わないや、その時のお互いの間にあった暗黙の了解、コミュニケーションの齟齬や誤解、記憶の改変など、一人の人間の頭の中の出来事と、客観的事実は必ずしも一致しない。

そして週刊現代の記者と70代高齢男性は、一般人の私的な問題についていきなり一方的な主張をマスコミに流布して名誉棄損を行っています。例えば松居一代さんは船越英一郎さんに対して名誉棄損を行い、書類送検されています。

この点について誹謗中傷を行う人の言い分を聞いてみると「元婚約者様は小室佳代さんにお金をせびられて貧乏になり弁護士を雇うお金がないからこのやり方しかなかった」とのことでした。

しかしある報道では借用書も無い金額も分からない金銭のやり取りであり、弁護士に相談しても借金として証明できないからどうしようもないと言われたということが書かれてあり、少なくとも誹謗中傷を行っている正義の代弁者さんのその思い込みは事実とは言えないようです。

また週刊現代の記者が突然「借金踏み倒しだ、400万だ」と騒ぎ立てたという情報もあり、これが70代高齢男性の意図した騒動なのか、それとも週刊誌にいいように利用されているだけなのかも曖昧です。他の記事でも70代高齢男性は週刊誌記者の喜ぶようなことを言っている傾向があったという見解がありました。

ひとつ確かなのは、誹謗中傷を行う人の中にそういった歪んだ主観による自己憐憫や被害者意識と共感があることで「だから名誉棄損は当然の行動」という、犯罪行為へのひどく簡単な容認の思考があるということです。また佳代さんがマスコミからの付きまといや嫌がらせを受けて、恐怖や心労から仕事を失っていることを指摘すると「疑いをかけられる人間なのだから自業自得だ」と驚くような見識を持っていました。

先ほど例にあげた松居一代さんも「本当のことだ。嘘は言っていない」という主張を度々していた記憶がありますが、名誉棄損は真実であっても嘘であっても、世間に言い触らすことによって相手の社会的信頼や名誉を著しく傷つけることを目的とした他害行為・私的制裁であり、両者の間で弁護士を交えて話し合って解決するべきことをせずに名誉棄損をすることは暴力です。親告罪なので被害者の訴えがなければ起訴はされませんが、人を痛め付けることが正当性がないことくらいは本来理解できているべきことだと思うのですが。法や人権という知識に基づいた客観的な善悪の判断力というのはとても重要な能力だと思います。

また、いわゆる小室文書というものを全く見ていないか、「敵対しているから」「70代高齢男性の主張と違うから」という理由で全く信じていない人が多いようですが、小室圭さんの場合弁護士立ち合いのもと話を進めているという前提があるので、弁護士を伴わない70代高齢男性の主張よりも信頼性は高まります。

そういった情報をまず「本当かどうか判断する能力」が欠けている人は、強い共感や同情、あるいは共通の敵対意識からくる仲間意識などの感情によって感情的に共感したほうだけを鵜呑みにしてしまい、すべての判断がその誤った情報から行われる為に全体的な言動が歪んでしまうという状態になっている。また善悪の判断が主観的な為に簡単に法的逸脱行為を行ってしまうのです。

権力、上級国民といったものに対する強い羨望と嫉妬と妬み。そこからくる憎悪感情

紙幣はそれが物資と交換できるという共通概念がなければただの紙ですが、その概念を信奉しているものにとっては非常に絶大な威力を発揮するものです。

池袋暴走事故では「上級国民」という言葉が飛び交い、誹謗中傷や「死刑にしろ」「家族も死刑だ」などの脅迫や恫喝が行われたことで、加害者のみならず加害者家族までも巻き込んだ苛烈な私的制裁が行われたことにより、減刑されたという記事がありました。

社会的な地位の高い職業、権威ある存在などに対して絶対的な強い力があると信じている者ほど、それらに対して強い嫉妬や妬みを抱きます。権力欲があるからこそそうでない自分は損している被害者であるという被害者意識や自己憐憫が沸き起こり、憎悪や攻撃性となって発露します。

金があれば犯罪を犯しても罪を逃れることが出来るに違いない→「ズルい」という感情が、彼らを苛烈な攻撃に駆り立てたと想像がつきます。

眞子さまの件も「権威の乱用」「忖度」「圧力」などの被害者意識が飛び交っており、呼び捨てや蔑視、見下しを行いイキることで、皇族を「引きずり降ろそう」とする心理が垣間見えます。

「ズルい」という感情は何なのだろうかと考えてみるとおそらく「自分は損をしている」という相対的な判断による被害妄想だと思われます。

実際には損しているわけではないのですが、相手と比べることでしか自分を判断することが出来ない人にとって、他者が得をしている(ようにみえる)ことは、すなわち自分の損という思考回路が出来上がってしまっています。

本当は自分には何の関係もないことであるにも関わらず、「あいつはズルい」という嫉妬の感情が被害者意識をもたらし、受けていない被害に対して報復しようとするのでしょう。

それがなんら正当性がないことだとしても、彼らには理解できないのです。

「自分は優しい」「自分は正しい」だから「何をしてもいい」と思っている。

彼らは70代高齢男性や池袋暴走事故の被害者に対して「同情」や「共感」を抱いています。そして「自分は優しい」「自分は正義だ」と自負しています。

それ自体は問題ないと思います。人は皆自分の考えることが間違っているとは思っていません。自分は正しいと思うのは普通のことだと思います。

しかし問題はその自負を根拠に、「だから悪をやっつけていい」という暴力的な他害行為、犯罪行為への肯定が行われることです。

彼らの頭の中では、弱いものを虐めてのさばる権力者や特権階級を、暴力でやっつけるアメリカンヒーローのような自己認識があるのです。

その為、小室佳代さんへの名誉棄損や誹謗中傷、付きまといなどが、私的制裁、法的逸脱行為であり、やってはならないことだと主張すると「おかしなやつだ」「そんなことをいうのは普通じゃない」と返ってきます。

彼らにとって「絶対的悪」と思い込んでいる相手をやっつけることが、何故ダメなのか理解できないのです。

批判とは建設的な働きかけをもたらすもの。誹謗中傷とは相手を痛めつけることそのものが目的。

そもそも誹謗中傷を行う人は、批判と誹謗中傷の区別がついていないように思います。

批判というのは社会問題や問題行動などに対して、問題を指摘し、改善を働きかけたり、適切な処罰を求めたりすることです。

例えば池袋暴走事故であれば、「警察はただちに逮捕するべきである」「逮捕しなかった理由を説明するべきである」と言ったような警察への批判を行うことで、例えば「被疑者が入院している為回復を待って取調べを始めます」などの回答があるだろうし、社会的な注目が集まることで警察もでたらめは出来ないという心理的効果を与えることもできるでしょう。

しかし被疑者やその家族に対して「死ね」などの脅迫行為を行ったり、「上級国民への忖度に違いない」という妄想から苛烈な攻撃を行うことは、全く意味のない相手を痛めつけるためだけの言葉の暴力になります。

また眞子さまの件でいうと、儀を行えば図々しいなどとののしるでしょうし、儀を辞退すれば「儀を行えないのは悪い証拠だ」と攻撃しますし、賞をとれば「皇室利用だ」と妄想して決めつけ、試験に落ちれば「相応しくない」と侮辱します。佳代さんの件を皇室の問題としてすり替えて攻撃しておきながら、眞子さまが当事者として対応すると「皇族による関与」だと攻撃します。付きまといや嫌がらせ、脅迫やデモや不法侵入までしておきながら、SPを付けることを「税金の無駄だ」とののしります。それでいながらあらゆる犯罪行為を並べ立てて、そのような被害にあっても助けるななどと目を疑うような脅迫まがいのコメントを書き連ね、それに何千もの「good」が押されているのです。

行き場を全て塞いで死ぬまで追い詰める。異常な攻撃性です。

しかし彼らはそれを批判だと思い込んでいて、「悪いやつらをやっつけている正義の行動であり、自分は損をしているのだから当然の権利」だと考えているんですね。

一人ひとりの認知の歪みを正すのは非常に困難。報道がメディアリテラシーを持つことで防げる誹謗中傷は多い。

池袋暴走事故にしても眞子さまの件にしても、マスコミが行ったセンセーショナルな報道が印象操作を行い、視聴者の憎悪感情を掻き立てる結果につながっていたのは明らかなことです。

70代高齢男性の主観による一方的な言い分をあたかも真実かのように掻き立て、眞子さまや他の皇族の方々の言動なども、根拠の曖昧な記事をあたかも見てきたかのように書き立てる。

それを嘘かどうか判断する能力が無い人たちは、「ズルい」という嫉妬や「損した」という被害妄想からの憎悪感情によって鵜呑みにしてしまいます。

日本全体でそこまで知能や認知に問題がある人はさほど多くはないかもしれませんが、日本全国から1000人2000人と集まり、集団で暴言や脅迫をし続けるというのはやられている方にとってみたらとんでもない恐怖とストレスです。

日本は法治国家なので、警察や司法が正しく働くことが望ましく、妄想や決めつけの正義のヒーローの暴力は単なる犯罪です。

1000人という人間の認知を正すのは非常に困難です。私も認知の歪みを指摘する反駁をおこなってみましたが、彼らの思い込みが歪んでいるということを自覚させることは不可能だなと感じました。

週刊誌は32万部近く発行されているそうで、Yahoo!は月間225億PVを稼ぐ巨大なプラットフォームです。

そこから炎上目的で金銭を稼ぐために逸脱した報道が発信されることにより、何千人という人間の誹謗中傷が誘発されています。

Yahoo!が本気で誹謗中傷問題を改善するつもりがあるのであれば、フェイクニュースや悪意ある貶めの記事に対して、削除したり表示させないなどの取り組みは不可欠でしょう。

蛇口を駄々洩れにしながら、床に広がった水をいくら拭いても、いつまで経っても問題は解決しません。

マスコミとYahoo!、ヤフコメユーザーによる皇室への暴動が世界で唯一のエンペラーを滅ぼしかねないとは、歴史に名を遺すほどの大きな問題になっていると思います。

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