見出し画像

DAY4-5|「見ていたはずです。それを言葉にしてみてください」メッシュワークゼミナールの記録(2023/10/7-10/8)

「観察する」ことの難しさ

「もっと人の描写を見たかったなと思います。どのくらいの距離にその人たちがいて、どのくらいの時間その場にいたのか。カワバタさんは見ていたはずです。それを言葉にしてみてください」

これはメッシュワークゼミの合宿2日目のフィールドワークを終えて、私が活動の振り返りを発表した後に、水上さんから言われた言葉だった。静岡で過ごした2日間は新鮮な刺激に満ちた時間で、これからも思い出すであろうことはいくつもあったけど、この言葉はしばらく心に留めておこう思う。

見ていたはずの光景の中で、自分はどんなことを“無視”していたのか。


※この記事は、人類学者の比嘉夏子さん、水上優さんが主催するメッシュワークゼミナール第2期「人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」での活動の記録として書いている。


10/7(土) 5:20 静岡へ向けて出発

4時に起床して身支度し、5時20分に福岡の自宅を出発。在来線は最寄り駅の始発電車でもギリギリの到着予定だったため、博多駅まで妻に車で送ってもらった。

5時40分時点ではまだ改札前に大きな荷物を持った人たちが列をなしている。始発の新幹線で移動するのは初めてで、こうした光景を目にするのも初めてだった。自分が切符を発券している内に開場し、行列が歩き始めた。

6時発の新幹線に乗り込んだ。静岡までは約4時間半の道のりとなる。スーツやビジネスカジュアルの乗客も少なくはないが、旅行とおぼしき家族客の方が多い印象だ。土曜の朝だもんな、と思った。

乗り換え予定の名古屋駅まで3時間はあるので、失った睡眠時間を取り返そうと仮眠を試みるが、一応アラームを試しておいたところBluetoothイヤホンの接続がなぜか上手くいかない。やっと聞こえたと思ったら、スマホから大きめの音量を垂れ流していたことに気づき、寝るのは断念。結局そのまま静岡まで起きていた。


…と、ここまでは、とりあえず書き出した流れのままに、水上さんのアドバイスを実践してみようと思い具体的な描写をしてみたものの、結局人の姿はあまり思い出せなかった。この調子ではいつ書き終えるか分からないので、ひとまずは本題に進もうと思う。

(そう言ったそばから脱線するが、言葉の外の現実では別に「本題」などが存在するわけではなく、こうやって記述する対象となった時間以外のすべての時間にも何らかのできごとが生じ続けている。そのことを身体的な実感を伴って知れたことも、2日間のフィールドワークを通じて得た大きな収穫だった)

静岡での2日間のフィールドワーク

ここからは、「フィールドワーク1日目〜2日目というプロセスのなかで、意識や行動にどのような変化があったか、そこから何に気づいたのか」という比嘉さんからいただいたお題に答える形で、2日間のことを振り返ってみる。

合宿1日目の散歩で立ち寄った「森下公園」

【フィールドワーク概要】

個人テーマ
「椅子/座られるモノ」と「人」

上記テーマの背景
単純に「椅子」というモノが好きだからというのが理由。ただ、リサーチ対象として検討してみると、椅子に「座る」ことが人間独自の特徴であることや、公共空間であっても座ることでその周囲が「私的」な空気を帯びることなど、人類学的なフィールドワークの対象としても面白いものになるのではないかと思った。

観察した内容
静岡駅北口から半径1km圏内にある、屋内外の椅子・ベンチなどと、その周囲にいる人びとの様子。

1日目は晴れ、2日目は雨(傘ナシでもぎりぎり歩けなくはない程度)という条件の違いは、観察内容に影響を与えた。椅子をはじめとした座られるモノたちと、座る人たちの様子にも変化が見られた。

【振り返り/それぞれの時間の行動と思考】

■1日目 フィールドワーク前
全員で静岡駅の南側を散歩した後に、静岡の街の特徴をポストイットに書き出してシェアをするというワークをやった。ほとんどがうろ覚えの記憶からなんとかひねり出したものだった一方で、すんなり書き出せたのは「おでん屋の前に椅子があった」ことだった。事前にフィールドワークのテーマを決めていたことで、目は自然と椅子を捉えようとしていた。

■1日目 フィールドワーク実践

フィールドワークの対象範囲は静岡駅から半径1km圏内。写真は駅の目の前にある静鉄バス停前ベンチの様子。

ひたすら街を歩き回り。目に映るすべての椅子をスマホのメモに書き出して、一応すべて写真に収めておいた。街の至る所にさまざまな種類の椅子があり、椅子でもない場所に腰掛ける人もいる。「椅子/座られるモノ」にだけフォーカスして街を見ることはそれだけでも非日常な体験であり自分でやる分には面白いし、何かを知れているような気もしてくる。

青葉シンボルロードを歩くと、物産市のテントが立ち並ぶすぐそばで、横並びのベンチに座って酒盛りをしている60〜70代くらいのグループがいた。特段騒いでいるわけでもないが、昼間に外でお酒を飲む人たちは通りを行く人たちとはどこか違ったルールを生きているように見える。ただ、そんなかれらの存在も、静岡駅北の日常なのだろうと思わせる周囲の環境との調和があった。それは椅子を「使いこなしている」とも言えるような姿だった。

少し変わった光景を見つけては少しメモを取り、写真を撮る。忙しい。

■1日目 フィールドワーク後のFB
スマホに書き出していたメモに、写真を15枚ほど貼って見出しを加えて、まとめを追加してレポート用のノートはひとまず完成。発表では、見てきた椅子一つひとつの特徴と使用している人とその人の行為を簡単に伝え、福岡と比べて静岡の街には非常に多くの椅子やベンチがあったことや、その様子にどこか居ることを許されているような感覚を抱いたことなどを報告した。

比嘉さんと水上さんからは、翌日トライすることとして「しばらく座ってみる」ことを提案してもらった。

長く座ってみると、どういう環境がまわりにあるか見えてくる。通り過ぎていく人や音、におい。また、建築系のフィールドワークだとモノを見ることはあるが、人類学ではそのモノがどのように使われているかということや、当初の意図とは異なる使われ方をされていることに注目する。そこにはどういう人がいるかという点にフォーカスすると、モノと人の関係や、モノ自体もよく見えてくる。

…といった理由でのアドバイスだった。1日目の自分を思い返すと、せかせかと椅子を見て回る中で、椅子一つあたりの座っていた時間は1分にも満たなかった。その結果、椅子と人の関係を十分に見てきたとは言いづらかった。

各自違うテーマに取り組んでいるが、発表の中で、ゼミ生同士に共通したトピックが浮かび上がることがあり、「椅子」もその一つだった。入口となる関心は違っても、人間に関わるものを扱っているからなのか、いつの間にか同じ場所にたどり着いてしまうのは面白かった(これはインゴルドが『人類学とは何か』の中で書いていた"oneness"の示すものに近いのかもしれない、と書きながら思う)。

■2日目 フィールドワーク 実践
フィードバックをもらって課題もはっきりした。「今日は座るぞ」と決意して出発したが、歩いていると意識は目に映るものを追いかけ、昨日の続きを始めるようにまたふらふらと歩き出した。お腹が空いたので、とりあえず駅構内にある「しずおか魚市場直営店」で海鮮丼を食べた。魚の身が分厚くておいしい。今日は人の様子ももう少し観察しようと試みる。隣に座っているお客さんやスタッフの人の動きを断片的に書き出す。座り時間30分。お腹を満たして、また静岡駅北側をふらふらと歩き出す。

静岡出身の会社の同僚に教えてもらった場所をいくつかまわろうと思い、まずは静岡市美術館に向かう。エントランスから入ってすぐのベンチに座ってみるものの、なぜかそこで観察する気分にはなれず、お土産売り場を一周して外に出た。

それから、同僚おすすめの昔ながらの喫茶店を訪れてみた。店内にいるお客さんたちはみんな20〜30代くらいだろうか。近ごろの喫茶店ブームをお店の人はどう思っているだろうか。席から見える光景と頭に浮かんだことを書き出していく。会計のときに、店主の方と話してみようと思い、目についた巨大なJBLのスピーカーの方を向いて「すごい大きいスピーカーですね」と言ったら、「そうですね、大きいですね〜」と返され、会話は終了。さみしい。座り時間40分。

1日目に見つけたお気に入りの椅子も、雨なので座れない。

雨の日の街の様子を眺めてみようと昨日と同じ通りを歩いてみる。青葉シンボルロードに向かってみたが、当然酒盛りをやってる集団はいない。あの人たちはどこに行ったのだろうか。

帰りに静鉄バス乗り場のベンチに座ってみた。近くにいた清掃員の人に、その知り合いらしき人が近づいて世間話をはじめる。ベンチの方に近づいて荷物を置いたけど二人は立ったまま話している。やっぱり仕事中に座るのは躊躇するのだろうか。「尿酸値って分かります?」という言葉だけははっきりと聞こえてきた。座り時間10分。

■2日目/フィールドワーク後
会議室に戻って、急いでノートにまとめる。2日目に観察した内容を振り返るとそれなりに気づいたこともいくつかあった。発表のトップバッターは自分。椅子に座ってその場にとどまることで、逆に目の前の光景は変化し続けていることがはっきりしたこと、椅子は雨が降るなどの条件次第で座るための機能を失うことがあり、いつも椅子になれるわけではないこと、とどまるという行為を通じて“時間”が椅子の本質に関わるものなのではないかと感じた、といったことなどを話した。

このように振り返ると、当たり前のことしか言ってない気もするが、そのときの自分にとっては“気づき”のように感じたのだと思う。比嘉さんからは、観察した内容が1日目から変化しているのは良いことである、椅子と時間の関係についてはその通りだと思うという旨のコメントをもらえて少しホッとした。その後、水上さんから言われたのが冒頭の言葉だった。

もっと人の描写を見たかったなと思います。どのくらいの距離にその人たちがいて、どのくらいの時間その場にいたのか。カワバタさんは見ていたはずです。それを言葉にしてみてください

見ていたはずという言葉が、自分にはとても強く響いた。ほんの数秒前の安心から一転、「あ、やってしまった…」という気分になった。確かに自分のフィールドノートには、人の様子はあったとして断片的で、時間の経過が見える描写と呼べるようなディテールが書かれたものはほぼない。

今日こそ何も見落とさないようにと書き起こしているとき、目線の先にあったのはスマホの画面だった。書かれたものは、自分の“解釈”の言葉が半分以上を占めていた。見てたけど、見ていない。書いていない。

それから他のゼミ生の発表を聞くほどに、水上さんの言葉は自分にとって重みを増していった。それぞれが街で出会った人の言葉と、人との関わりの様子を具体的に記述し、そこにいた人の姿がありありと目に浮かぶような話を聞かせてくれた。みんなのノートは単純にとても面白かった。それと同時に自分が恥ずかしくなった。

解釈したくなって、観察ができなくなる。

1日目のフィールドワークをはじめる前にも、2日目のフィールドワークをはじめる前にも、どのように人と関わるか、あるいはどのように人との関わりを見るか、ということについて、比嘉さんと水上さんから沢山アドバイスをもらっていた(メモに残っていた)。

それでもなお、私が「人」を観察することができなかったのはなぜだろうか。単に歩き出した途端、意識から飛んでしまったという凡ミスでもある。ただ同時に、たぶん結構根深い問題で、自分にはこういう見方が染みついてしまっている。5秒観察したら、10秒解釈する。そんなペースで目に映るものごとを見ている。みんなの発表を聞いた今となっては、それはおもろしくないなと思う。

比嘉さんは最後にゼミ生に向けて「どんな方法が合うかは人によって違うし、自分に合ったフィールドワークのやり方を見つけて欲しい」といった内容のことを話してくれた。なんとかして良い観察と描写の方法を見つけたい。

【まとめ/2日間の変化と気づき】

■意識と行動にはどのような変化があったか?
▼1日目 晴れ(行動)歩く+見る (見え方)静的
▼2日目 雨(行動)とどまる+見る(見え方)動的

1日目⇒2日目の変化を通じて気づいたこと
(1)とどまると「動的」な世界が見えてくる
(2)椅子の本質には「時間」が関わっている
(3)「場」は物理的な空間と、人やモノの関係が重なり合ってできている

変われなかったこと
結局「人」を見ていなかった

おわりに

失敗の話を延々と書いてはきましたが、2日目のフィードバックを終えた後は「3日目のフィールドワークはどうしよう?」と考えていたくらいには前向きです。続きは日常のフィールドでやっていかないとなと思う。気がつくとすぐに解釈して、その場から目を逸らしてしまう自分を押しとどめて、いかに現実をそのままに受け取ることができるか。まずはそこから始めたい。それが難しいのだけど。

静岡はまたいつか訪れたい街になった。次は1km圏外にも進出したい。あと、休日にはもう少しゆっくり街を歩いてみよう。

帰り着いた博多駅の写真でも貼ろうかと思ったけど撮って無かったので、乗り換えで止まった名古屋駅ホームで食べたきしめん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?