偶然スクラップ#38: Robert Frank展@清里フォトアートミュージアム

このところロバート・フランクに触れている理由。それは先週, Facebookを見ていたら写真家でイギリスの美大の先輩が、写真家のロバート・フランクの訃報をシェアしていた。その記事で初めて僕はロバート・フランクを知った。そのガーディアン紙の訃報には、彼の何枚かの白黒写真が掲載されていた。僕はその詩的で批評的な印象に魅せられ、彼のキャリアと解説が綴られた「ごく普通の人々と辺境にいる小さな存在の生を捉えた写真家」というタイトルがついたその記事を翻訳することにした(前回のnote)。

そして、ちょうど山梨県の清里フォトアートミュージアムでロバート・フランクの『もう一度、写真の話をしないか。』展(2019/6/29-9/23)が開催中であることを知り、「行かなきゃ」という思いに駆られて僕は清里に向かった。

この展覧会では、収蔵作品から写真集に掲載されていない未発表の作品を含めロバート・フランクが23歳から38歳までの間にアメリカ、南米、ヨーロッパで撮影した106点の作品が展示されている。

記事の写真数枚で既にロバート・フランクを好きになっていたが、「写真に囲まれたい」と思ったのだ。山の中にある質素な美術館に入り、決して大きくない展示会場に案内された。展示会場に入った瞬間、ロバート・フランクの写真に囲まれた僕は安心感と勇気を覚えた。ほぼ時系列に時代ごとのキャプションがつき並べられる写真。どの写真にも間、あるいは空が存在している。撮影者と被写体との間に何か距離を感じるのだ。前々回のnoteにリンクを貼った記事には「米国社会をひるむことのない視点で捉えた…」と書いてあったが、僕は「ひるむことのない視点」という本人から被写体に向かうような方向感はなく、本人の存在は消え、被写体のありのままがそこに現れているように感じた。客観写生。それが詩的に感じさせたのかもしれない。

ロバート・フランクは、チューリッヒでドイツ系ユダヤ人である父親とスイス人の母親の間に生まれた。父親は第一次世界大戦の終わりにドイツの国籍を失い、1945年にスイス国籍を取得するまで、父親もロバートも無国籍状態だった。その後、ロバートはチューリッヒ、ジュネーブ、バーゼルで写真家に弟子入りし、独立後はパリに移った。そして1947年にニューヨークに移住した。

前回のnoteを翻訳する際に、‘outsider’や’on the margin‘という言葉を英英辞書で改めて定義を確認したが、アートのジャンルとしてのアウトサイダーは、ルソーなどのアートの専門教育を受けてない作家による作品を指すが、一般的な言葉としてのアウトサイダーは、特定の社会グループのメンバーとして認められない人とあった。また、on the marginは社会の辺境にいて権力や重要性や影響をほとんど持たない人を修飾するという意味であった。

ロバート・フランク自体が生まれてからずっと社会的にはアウトサイダーであり、辺境の存在だった。だからこそ、撮影者は、そのような存在である被写体に同化し、写真上から消えたように見えたのかもしれない。彼はLIFE誌の若手写真家のコンペで2位になったとき、LIFE的な写真を撮らず自分のやり方で撮ると改めて決意できたから1位じゃなくて良かったと言った。彼は、自分がアウトサイダーであることを自己認識した。普通の感情ならば、その状況を受け入れることは悔しいし、不安になる。でも、彼は写真あるいは映像という実践を通して、その存在を知らしめ続けた。ヒーロー。

彼が当時“暗黒の地”と呼ばれていたペルーにインスピレーションを発見したのも頷ける。彼の写真の中は詩的な無方向性だが、彼の行動は常に偶発性に向いている。偶発性の中では人は崖の縁にいるようなものだ。「怖い。危険だ。」だから安心できそうな安定した場所に向かう。でも、彼はそうしない。そしてそこにいても、生き生きと生きていられることを伝えてくれている。縁だと言っても物理的な縁じゃない。彼は、その写真によって、「落ちて死ぬことはない。なぜなら縁なんて存在しないのだから」という真実をディスカバーし、空気が読めないと言われる僕に勇気を与えてくれる。


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