援交ならまだいい
今日も寝付きが悪い。
寝付きが悪い日は、だいたい暗い出来事や妄想に脳みそを支配されてしまう。
少しこの嫌な記憶を文字にして吐き出したく思う。
性的描写などの反社会的な内容を含むので、嫌悪感がある方はここで読むのを止めることをお勧めします。
私が10代の頃、家は商売をしていて両親は子育てが疎かだった。
ウチは子守担当の老いたじじやばばがいる家庭でもなく、高校生だった上の姉2人は奴隷のように無賃で家業の手伝いをしていたし、すぐ上の三女は透明人間の様な存在だったから、あまり関わることもなかった。
小学校5年生から、家は有るけど野良子供の様に生活していた。
家にいるのは寂しく、似たような境遇の子と夜遅くまで一緒にいた。そのうちみんな帰って、ポツリと1人になると寂しさと悲しみが込み上げた。
誰でもいいから心身共に温めて欲しかった。
中学生になる頃には、大人達に身体を委ね、好きにされる子供になっていた。
本来なら、守ってくれるはずの身近な大人達は口々に『あの子はろくでもないあばずれ』と、自分達の子供を近寄らせないようにしていたし、トドメは学校の先生から私との交流を避けるように指導があったのだ。
どんどん同世代から孤立したし、悪い世界しか私の心を埋めてくれなかった。
その頃シンナーを始めた。13歳の夏休み明け。
私は寂しかっただけなのだ。
当時はネットも普及してないし、携帯電話もなかったから、公衆電話で、テレクラや伝言ダイヤルで相手を探していた。
私はまだ14歳だった。
14歳と知りながら私を抱く20代から50代のおっさん達に「お金をくれ」などとは言えなかった。
自分にそんな価値があるなんて思えなかったから。
そのうち、狂った人が私を殺してくれたら良いとも思っていた節があったのも事実。
希望する未来を親に踏みにじられる姉達をみていると、自分の未来なんかある訳ないと思っていたし、勉強もできなかったのでバカにされるのにも慣れてきていて、当時は生きる気力もなかった。
寂しくて自分が存在しているのかもわからなかった。
14歳の私に手を出す大人達が当時の私にとっては救いだと思っていたのだが、自分が大人になり、子供を産み、親になり、子供を育て始めると、あの人達は私の救いではなく搾取するズルい人達だったんだと気づき、産後うつも相まって、ズッポリと心が闇に沈んだ。
そんな訳で、私の鬱により離婚に至りました。
子を産む事で無償の愛を知り、自分の親の薄情さも理解したし、14歳の私を『お前は馬鹿だ』と罵りながら私から自信を奪いシンナーを吸わせて体を弄んだ大人達に嫌悪した。
幼い体は、よく行為の最中不正出血をするのだが、その度に『おまえ病気なの?』なんて言われたから、自分が汚物の様にしか思えなかった。
大人は汚い。汚さを猫撫で声や嘘で隠すし、子供は無知だからすぐそれに騙される。
少なくとも、私には価値はあったし、バカではなく世間を知らなかっただけだし、ただ、自分で自分の価値を知らなかっただけだ。何より、お母さんに守られてもいなかった。
このこみ上げる悲しみと怒りは、今も癒えていない。
現在、子供を持ってお母さん達の集まりなどに行くと、親御さんが甲斐甲斐しくない家庭の子を悪く言う小さな集まりにたまに出くわす。
そして、自分のDVパパの影響と、私を弄んだ大人達の影響もあり、感情的な男性や男性上司、威張る男性が嫌いだ。
嫌な大人達を目の当たりにする度に、子供の頃の私が泣き叫び、怒り狂う。
その小さな集団や男性は、仕事場だったり、PTAの懇談会だったり様々な場面で出会す。
そして、私は自分から属する場所を捨てたり手放したり。継続できない。
今もどうしても聞き流せない事が沢山ある。大人は全ての子供を守る存在でいるべきだ。
性欲の吐口など持っっての他なのだ!
そして、大人にお金を要求できる援助交際の子供の方が、自分の価値をきちんと理解できていて、まだ壊れていないと考える。
壊れる前に手を差し伸べれば、更生も早いと思う。
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