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エッセイを読むようになった〜宮沢章夫さん編〜

私の好きな劇作家の宮沢章夫さんのエッセイ「長くなるのでまたにする。」を読んだ。

読んでいる途中から宮沢さんになりたいと思うようになった。
彼は日常に対しての気づきが秀逸なのだ。

しょっぱなは「フェイスブック」に関しての話。

執筆当時、フェイスブックが日本に浸透してきたタイミングではあったが、彼自身はその恐ろしさに目をつけていた。

フェイスブックにはホームパーティの写真を上げなければならないのだ。
しかもそれは日本式のいわゆる宴会ではダメ。鍋でもダメ。日本酒と瓶ビールはもっとダメ。

バーベキューが正解なのだ。
アメリカ人を想像した時に思い浮かぶ、庭でするバーベキューこそが、フェイスブックに上げる写真の正解なのだ。

しかしだいたいの日本人は、そんな風にバーベキューをするだろうか。ジョンとかケビンとかボブを呼んで、大きな肉にかぶりつくシチュエーションが日本でできるだろうか。しかもだだっ広い庭で。

日本人はフェイスブックになにを上げればいいのだ。
大きな疑問と迷いがそこにはあるのだ。

宮沢さんの気づきはすごい。

同調圧力に従って、それっぽいことを記載してフェイスブックに上げていたが、そこに疑問を持つとは。決して社会にクリティカルに物申すほどのレベルではないが、日常生活の当たり前を疑うことの楽しさに気づくことができた本だった。

余談。新宿の喫茶店でこのNOTEを書いているのだけれども、いくつかの席で勧誘ビジネスをやっているのが気に触る、、、「痛みを伴う快楽が大事なんだよ」ってなにの教育だよ。

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