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無限の時

1年生
何も怖くなかった。通り過ぎる人混みも、いつの間にか落ちている太陽も、この時を、こいつらと無限に過ごせるような気がした。

2年
私はこいつらとずっと生きていきたい。そんな仲間と出会えた事が大学に来た意味だと思った。一年の時に過ごした四季をまた、無限の中の一節をもう一度、そう思っていた。

3年
憧れだった先輩達が居なくなって、憧れる先輩になってしまった。拒否権は無かった。その枠にハマることを余儀なくされ、無理やり自分たちの心をそこに閉じ込めて、奢ることで大人にさせられた。

4年
無限の時は終わったのだ。私の学生生活は無限だったのか?無限は終わるのか?この無限のような生活は実は無限じゃなかったのか。
私たちは二度と戻れない生活を振り返り、後悔という解釈をして、残りの人生に絶望するのだ。
しかし、それでも希望を見出すというなら、無限の学生生活は有限で良かったのかもしれない。

私たちは憧れる。「人生が希望に溢れている人たち」はきっと、私たちのような無限の時を過ごしていない。でも、私たちは今ここからなんでもできる。人生の半分も使ってない今なら、なんでもできる。無限の時はこれからも続く。

無限の時は終わらない。そうやっていつまでも大学という場所から、
戦争のように血眼で戦う子供達が出てくる。

死ぬときは是非、そんな子供達がいる日本を守って死にたい。世界を救う方法はそれしか無いとすら思う。