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人生という旅を歩き続ける ~AKB48『羊飼いの旅』~

この曲は、AKB48の25thシングル「GIVE ME FIVE!」のカップリング曲になります。
やや厳かな雰囲気の漂う美しいメロディーのバラード曲です。

さて、この曲ですけれども、主人公は羊飼い。
それも、おそらく独り立ちしていく若い羊飼いなのではありませんかね。

羊飼いの大きな特徴として、ひとつは、羊の群れを率いて行くというのがありますけれども、そこの部分にスポットを当てて歌詞を解釈しようとすると、人々を導くリーダー、もしくは人々に影響を与えるインフルエンサーのような人物像を描かなければならなくなり、この曲の歌詞にはうまくハマらなくなってしまうのですよね。
となると、羊飼いのもうひとつの特徴である漂泊者という側面にスポットを当てて解釈していくことになります。
つまり、「羊飼いの旅」とは「漂泊者の旅」のことであり、それはとりもなおさず人生を表していると言って良いのでしょう。
そして、歌詞に度々登場する「山」というのは、人生の節目に待ち構えている大きな出来事、例えば受験てあったり就職であったり、結婚とか出産とか、そういった事柄を表しているのでしょう。

1番Aメロ

あの空の真ん中辺り
爪の跡みたいな
三日月が取り残されて
白みながら夜が明けてく

通常言うところの三日月は、日没ごろに西の空に見られる月を指しますから、ここで言っている三日月は、新月の前に見られる「明けの三日月」のことなのでしょう。
新月はスタートを意味しているところがありますから、明けの三日月はスタート直前といったところでしょうか。
つまり、この三日月は、夜明けの情景と相俟あいまって、新たな旅立ちを示唆しているのではありませんかね。

1番Bメロ

いつか この場所から
動くべき時が来るよ
朝露と思い出は
永遠のものじゃなくて
過ぎてく季節の恵み

故郷なのか、それとも家族とともに長らくとどまっていた土地なのか、その場所から離れるときがやってきたということなのでしょう。
これはつまり、家族(親元)から離れ、独り立ちして何か新しいことを始めようとしているということを意味しているのではありませんかね。
これまでの思い出は大切なものではあるけれども、いつか過ぎ去っていくもの。
「朝露」というすぐに消え去ってしまう儚きものと並列させることで、その思い出の儚さを表しているのでしょう。

1サビ

羊飼いは
旅を始める
誰にも告げぬまま
山から山へ
歩き始める
なだらかな斜面
静かに吹く
風と光
鈴を鳴らして…
どこにある?
明日は…
どこにある?
未来は…

いよいよ旅に出るわけです。
「誰にも告げぬまま」というところに、この主人公の決意の強さがうかがわれますよね。
旅の行く手には、いくつもの山が待ち構えている。
その「山」とは、何らかの試練であったり、挑戦であったり、人生における大事なイベントだったりするのでしょう。
そういった「山」をひとつひとつ乗り越えて行くわけです。

広大な自然の中、陽の光を浴び、涼やかな風を受けながら歩くのは、とても気持ちの良いものです。
そういったことから、ここにある「静かに吹く 風と光」というのは、希望に満ち溢れた心情を表しているのではないでしょうか。

「鈴を鳴らして…」というのは、「今、私はここにいるよ」ということで、自分自身の確かな存在を示しているのではありませんかね。

この旅の目的は、旅を通じて自分自身と向き合い、まだ見えぬ未来に自分はどうありたいのか、自分は何をやりたいのかを模索することなのかもしれませんね。
「どこにある?」というのは、明日には、あるいは未来には、自分は一体どんな自分になっているのだろうかということを言っているのでしょう。

2番Aメロ

雨の日も嵐の日にも
真っ直ぐに前を向き
まだ遠い山の嶺を
目指しながら
群れは進むよ

長い旅路においては、天気の良い日ばかりではなく、雨の日もあれば嵐の日もある。
人生とて同じこと。
調子の良いときばかりが続くわけではない。
失敗したり間違えたり。
思うように上手くいかなくて打ちひしがれることもあるでしょう。
それでも目指すべきものがあるのなら、前を向いて歩き続けるしかないのですよね。

2番Bメロ

平坦な道など
どこにもないと知ってる
少量の岩塩と
家族への愛だけが
自分を奮い立たせる

どこを辿たどって行こうとも、平坦で楽な道などない。
苦労の多い道のりであり、ときとして険しい道を通過しなければならないこともある。
そんなことは重々承知しているということでしょうかね。

岩塩は遊牧民にとって大切な生活必需品と言っても良いものなのですよね。
食事の味付けはこの岩塩を使ったものがほとんどですし、ミネラルの大事な補給源でもある。
また、交易の商品にもなるわけです。
さらには、引き連れている羊たちが羊飼いの元から逃げ出さないための小道具でもあるのですよね。
羊も生きるために塩分を必要としていますので、岩塩を舐めさせることで羊飼いのそばにいれば塩にありつけるとなって、縄などで縛り付けておかなくても逃げ出さないのだとか。

そういった必要最小限の生活必需品と家族への愛さえあれば生きていける。
余計なものは一切持たない。
と言うよりも、自由に動き回るためには、物欲や執着心は無用なものなのですよね。
まあ、シンプル・イズ・ベストといったところなのでしょう。
人生もまたしかり。
虚飾虚栄でいろいろと余計なものを身にまとい、そのために身動きが取れなくなって、かえって生きづらくなっていることもあるのではないでしょうか。

2サビ

羊飼いは
語りはしない
夢では食べられない
生きてくために
歩き続ける
先祖からの山
同じ土に
宿る想い
尊い命
届けたい
神へ
届けたい
祈り

現実の生活においては、夢では食べていけないというのは、それはその通りなのでしょう。
そもそも夢を抱くということと生活の糧を得るということとは、全く別次元の話なのですから。
まれに、夢が生活の糧を得る手段に結びつくということもありますけれども、それはそれで、夢の純粋性が損なわれてしまう。
プロのサッカー選手などは、活躍が認められれば富と名声を得ることができるけれども、肝心のサッカーそのものは、少年のころのようには純粋に楽しめなくなってしまうという話を良く聞きますよね。
夢が純粋に夢であるためには、生活の糧を得るといったような生臭い現実からはかけ離れたところにあったほうが良いのかもしれませんね。

ただ、夢を持つのも生きてあればこそなのであって、優先されるべきなのは、生活の糧を得ることなのですよね。
そのために夢をあきらめざるを得ないということは、往々にしてあること。

歌詞の中に「語りはしない」とありますけれども、何を語りはしないのかと言うと、「夢」なのではありませんかね。
主人公の羊飼いも、その胸の内に何らかの夢を抱いているのでしょう。
けれどもそれは胸の奥深くにしまっておいて、まずは生きるために歩き続けるわけです。
厳しい現実社会の中で生きている人にとっては、身につまされる話ですよね。

ところで、遊牧民は元来、墓らしい墓など建てず、葬法も風葬など自然葬で、亡骸なきがらは大地の土に返すというのが習わしになっていますよね。
ですから、この歌詞の主人公である羊飼いが巡り歩く山々にも、先祖たちの魂が宿っているわけです。
そしてまた、この主人公自身も、やがて同じようにこの山々のどこかしらに土となって返っていくことになるのでしょう。
悠久の歴史の中で、そういった命の営みが延々と繰り返されているわけです。
なんだかここのくだり、「私たちの生は、大河の流れの一滴に過ぎない」という、小説家・五木寛之のエッセイ『大河の一滴』の中の一節を思い起こさせるものがありますよね。

Cメロ

風の中
口ずさむのは
遊牧の
愛の唄
山々に
木霊するのは
しあわせな
この旅の
ゆっくりした
時の流れ

遊牧の愛の唄というのも、先祖代々受け継がれてきたものなのでしょう。
「ゆっくりした 時の流れ」というのが、巡り歩く大地や山々で紡がれてきた悠久の歴史の流れそのものをも表しているのでしょう。

落ちサビ

羊飼いは
生まれた日から
心を歩き出す

そう、人生の旅とは、心を旅することなのかもしれませんね。
生まれときにはそれこそ無心の状態で、やがて自我が芽生え他者を認識する。
そしてその他者との関わりを通じて様々な感情が生起するようになってくる。
身体の成長に伴って多様な経験をするようにもなり、そのことが感情の現れ方や心の動きを複雑化させていく。
人生の旅には、そういった心のあり方の変遷へんせんも伴っているということなのでしょう。

大サビは1サビと同じ内容です。
明日を求めて、そして未来を求めて人生を歩き続ける。

この曲は、人生という旅を通じて不断に成長していくことの大切さを、漂泊者の旅になぞらえて示してくれているのではないでしょうか。

ところでこの曲、リリースしたてのころは、内容が意味深だということでMVが少々話題にはなったようですけれども、楽曲自体はどこかで披露されたことはあったのでしょうか?
表題曲にしても良いくらいとても良い曲ですので、このまま埋もれさせておくにはもったいなさすぎますよね。

引用:秋元康 作詞, AKB48 「羊飼いの旅」(2012年)


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