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人生の岐路において ~AKB48『散ればいいのに…』~

AKBには桜ソングと称される「桜の季節」に関連する楽曲が何曲もあります。
主に卒業や別れや旅立ちなどをテーマとした楽曲になります。
AKBの公式からは「AKB48桜ソングプレイリスト」として10数曲の桜ソングがラインアップされたものが公開されているのですけれども、その中には「桜の花びらたち」や「10年桜」といったようなAKBファンなら誰もが知っているような、あるいはAKBファンならずとも聴いたことのあるような曲が何曲も含まれています。
もちろんこのプレイリストに含まれていない桜ソングもあって、中にはAKBファンでも知らない、あるいはすっかり忘れられてしまっているような曲もあるわけです。
この「散ればいいのに…」もそういった曲のひとつになるのではないでしょうか。

この曲は、AKB48の5thアルバム「次の足跡」の収録曲で、当時の研究生たち、向井地美音をはじめとする15期研究生たちの楽曲になります。
まだ加入して間もないころということもあって、歌声が初々しいですね。
この曲は、卒業と別れをテーマにした切ないバラードなのですけれども、拙く幼い感じの歌声が、期せずしてその切なさを強調させる効果をもたらしているような気がします。

1番Aメロ

もう少しこの場所で 会えるのかな
春色の風が吹き 桜が咲く日まで

制服で待っていて いつもの道
木漏れ日のその中で あなたと微笑みたい

「この場所」=学校、「桜が咲く日」=卒業式、「いつもの道」=通学路、「あなた」=親しい友人もしくは思いを寄せている人と捉えることができますから、卒業式までの日々のことを想っているのでしょう。
後に続くBメロに「4月には別々の街角に立ち」というフレーズがあることから、卒業後には進学や就職でこの街を出て行き、皆離ればなれになってしまうということがわかります。
つまり、ここで表されているのは、高校の卒業のことではないかと推測されるわけです。

卒業式が近づくにつれ、高校生活における様々な思い出が胸の内に去来きょらいし、この主人公は感傷に浸っているのではありませんかね。

1番Bメロ

4月には 別々の街角に立ち
この空を見上げ
雲の行方を追いかける
大人になりたくなかった

卒業してしまえば、親しい友人たちとも別々の道を歩んで行くことになってしまう。
「雲の行方を追いかける」というのは、そうした別れの寂しさを表現しているのでしょう。

友人たちと過ごした楽しい日々を思うと、いつまでもこのままでいたいと願わずにはいられない。
けれども、大人になるということは、それぞれがそれぞれの道を自分の足で歩き出していくということですから、そこには何がしかの別れ、もしくは距離感が生じるものです。
それを拒絶したいという心情が、「大人になりたくなかった」という言葉に表されているのではないでしょうか。
もちろんこの言葉の裏には、子供から大人に成長していく過程における不安だとか戸惑いだとかといったような気持ちも含まれているわけですけれども。

1サビ

人はあといくつの涙を
流したら 強くなれるの?
胸に募ったその想いが
花のように 散ればいいのに…

卒業、とりわけ高校卒業というのは、人生においても重要な分岐点となるイベントではありますよね。
中学でも卒業というのはありますけれども、大概の場合、高校に入れば中学の頃の友人たちとまた顔を合わせることになりますし、生活圏もほとんど変わることがないと思います。
けれども、高校卒業の場合、大学進学やら就職やらで、今まで暮らしてきた街を離れるというケースも多々あるのではないでしょうか。
特に地方在住であったなら、東京をはじめとする都会に出て行くということが多いのではありませんかね。
そのため、それぞれが別々の新しい世界に踏み出していくことになり、今までずっと一緒に過ごしてきた友人たちとも離ればなれになってしまうことになるわけです。

そうした別れの寂しさや辛さ、新しい世界に踏み出すことの不安と緊張といったようなさまざまな感情が、高校卒業というイベントにおいて心の中をかき乱すことになる。
それは、子供から大人になる過程におけるひとつの試練と言えるのかもしれませんね。
「人はあといくつの涙を流したら強くなれるの?」というのは、そうした試練をどれだけ乗り越えていけば大人になれるのだろうかという意味とも受け取れます。

「胸に募ったその想い」というのは、不安だったり迷いだったり未練だったりのことを指しているのでしょう。
そうした想いを、桜の花が潔く散るように、スパッと断ち切ることができれば良いのにということなのでしょう。

2番Aメロ

いつだって会えるよと 言ってくれる
やさしさが 意地悪に思えて 悲しくなった

「いつだって会える」というのは、卒業の際、別れるときの常套句じょうとうくと言って良いのかもしれませんね。
もちろん、当人たちにしてみれば、その言葉に嘘偽りはなく、そのときには本当にそういった気持ちではあるのでしょう。
けれども、月日が経つにつれて、お互いに次第に疎遠そえんになっていってしまう……。

現在進行形で関わりを持っているのは、新たな世界における新たな友人たちであって、それ以前の友人たちではないのですよね。
とりたてて仲たがいしたわけでもなく、会えば昔の気持ちが蘇ってきて普通に接することもできる。
ただ、意識の比重がいつしか新たな世界のほうに移ってしまっていたということなのですよね。
昔関わっていた友人たちは、そうやって次第に思い出の中で生きる人々へと移り変わっていってしまうことになるわけです、お互いに……。

おそらくそうなるであろうことをなんとなく予感している。
それでもお互いに「いつだって会えるよ」と言ってしまう。
優しい気づかいのようでありつつも、考えてみたら意地の悪い言葉ではありますよね。

「悲しくなった」というのは、そんなふうに言われてという意味と、自分もそういう言葉を投げかけてしまうという二重の意味で言っているのかもしれませんね。

2番Bメロ

1本の人生は 2つに分かれ
夢を見て進み
時に振り向き思い出す
卒業式の教室

今まで一緒に過ごしてきた友人たちとも、卒業を機に別々の道を歩き始める。
それぞれが自分の夢を抱いて新しい世界に踏み出していく。
「卒業式の教室」というのは、まさにそうした分岐点、人生の岐路を象徴しているのでしょう。

2サビ+落ちサビ

人は初恋より素敵な
恋愛を 見つけられるの?
遠い記憶の しあわせな日々
鉛筆のように 消せればいいのに…

ありがとう さようなら

ときとして痛みを伴っている場合もあるかもしれませんけれども、初恋は誰にとっても美しい記憶なのではないでしょうか。
その美しい初恋の記憶が、新たな恋愛の妨げとなることもある。
転じて、過去への未練や執着が未来への歩みを妨げてしまうということを意味しているのではありませんかね。
美しい記憶は思い出として胸の中にしまい込み、未練や執着を振り払うしかない。
鉛筆で書いた文字のように、消しゴムで簡単に消せればいいのだけれども……。
そうは言っても、そう簡単にはいきませんよね。
「ありがとう さようなら」というフレーズには、そうした切ない複雑な心境が表れているのではないでしょうか。

ラスサビは1サビの繰り返しになっていて、歌詞付のアウトロへと続いていきます。

やがて
桜が教えてくれる
散ること
咲くこと
生きること

花は、咲くから散るのではなく、散るからこそ季節が巡ってまた咲くことができるということでしょうかね。

卒業と別れ、そして新たなスタート。
そうした人生の転換点において生じる過去への未練と未来への不安。
そうした想いを振り切ることで、新しい世界へと力強く踏み出していくことができる。
そのことを、潔く散る桜の花が教えてくれているのではありませんかね。

引用:秋元康 作詞, AKB48 「散ればいいのに…」(2014年)


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