どんな時代であろうとも ~HKT48『こんな時代に…』~
この曲は、モバイルゲームのHKT48「栄光のラビリンス」のCM曲で、配信限定の楽曲になります。
次のシングルかアルバムが出るときに収録されることになるのかもしれませんね。
48グループの楽曲には、各グループともロック調の曲がいくつかあるのですが、それぞれに各グループの色合いが出ていて面白いですよね。
たとえばAKBですと、「虫のバラード」に代表されるようなややシリアスな感じのロック・バラードが多いという印象がありますし、NGTですと、「空き缶パンク」だとか「命を懸けろ!」だとかのように、歌詞の内容も曲調もかなり攻撃的な激しいものになっているという印象があります。
そこへいくとHKTの場合は、グループの明るく楽しいイメージを反映しているのか、ロック調の曲も明るめの軽快な曲が多い。
この曲もそんな軽快なロック曲になっています。
センターを務める梁瀬鈴雅が多種類の楽器を演奏できるという特技を持っているからなのか、MVはそれを生かした内容になっていますね。
1番Aメロ
人に気を遣い周囲に合わせてばかりいると、自分を見失って周囲に流されがちになってしまう。
だからといって、各人が好き勝手なことばかりしていたのでは集団というものは成り立たないし、社会も成り立たなくなってしまう。
要はうまいことバランスをとるしかない。
結局のところ、自分を見失うことなく協調していくという、そのバランス感覚を磨いていくということが、社会の中で人として成熟していくということになるのかもしれませんね。
とはいえ、この国ではガマンすることが美徳であったり、理不尽な同調圧力が蔓延ったりと、とかく集団の中に同化することを暗に強要するようなところがありますよね。
つまり、周囲に合わせるということに傾き過ぎている社会ということになります。
なんだか息苦しいですよね。
そんな中にいれば、別段トラブルを起こしたいわけではないのだけれども、思わず異を唱えたくもなってくるというものです。
そこには、自分の本当の気持ちに背いて周囲に迎合していることに対する自己嫌悪の気持ちもあるのでしょう。
そのあたりの葛藤を、ここでは言い表しているのではありませんかね。
1番A'メロ
言われるまでもなく、生きていれば嫌なことなどいくらでもあるわけです。
誰もが何かしら悩みや苦しみを抱えている。
けれども、それを素直に表に出すことなどそう簡単にはできませんよね。
それには、見栄だったり虚勢だったり、あるいは他者への配慮などもあるのかもしれません。
いずれにせよ、表に出せなければ、心の中にため込んでいくことになるわけです。
心の中にため込んでも、それをうまく消化できる術を持っていれば良いのですけれども、そうでなければいずれパンクしてしまう。
ここでは、強がっているのももう限界だと悲鳴を上げているようにも受け取れますよね。
1番Bメロ
確かに、無理して虚勢を張っているよりも自分の弱さを認めて曝け出してしまったほうが、気持ちは楽になるかもしれません。
けれども、誰しもプライドもあれば意地もあるあるわけです。
おいそれと相手構わずに自分の弱さや情けなさ、あるいはカッコ悪さなどを曝け出すなんてことはできませんよね。
結局のところ、一人でもいいからお互いに自分を曝け出し合えるような、真に信頼できる友人だとか仲間だとかを見つけるしかないのですよね。
もちろんここで言っているのは、人前で自分を曝け出してしまえば良いということだけではなく、心の奥に押し込めている悲しみや苦しみ、あるいは自分の弱さなどをしっかりと見つめて、それを自分自身がちゃんと受け止めようということでもあるのでしょうけれども。
1サビ
「こんな時代」とは、いったいどんな時代のことを指しているのでしょうか?
ネガティブなニュアンスであることはわかりますけれども、具体的には何も記されていませんよね。
おそらく、聴き手がそれぞれに思い浮かべる「こんな時代」で良いということなのでしょう。
さて、「こんな時代」と、自分が生きている時代を唾棄して否定的に捉えていてもしょうがないのですよね。
たまたまこの時代に生れ落ちて、この時代を生きるしかないのですから。
この時代を否定するということは、この時代に生きている自分の存在をも否定することになってしまう。
「空に向かって唾を吐くようなものだ」というのは、そういう意味なのでしょう。
何かネガティブな要素がこの時代にあるのならば、それを変えていくのは、この時代を生きている自分たちに他ならないわけです。
ネガティブな要素を取り除き、少しでもより良い社会に変えていこうとするのは、次の時代を生きる者たちに対する今の時代を生きている者たちの責任なのではないかと言っているわけです。
何もしなければ「この国は滅びるぞ」というフレーズは、なかなか辛辣ですよね。
2番Aメロ
生きていれば、他人と競争することもあるでしょうし、場合によると激しくぶつかることもあるでしょう。
そして、お互いに傷つけ合うこともある。
つらくて苦しい経験ではありますけれども、そういった経験を乗り越えていくことによって、人は力強く成長していくのではありませんかね。
どんなに苦しいことであっても、過ぎ去ってみれば、取るに足りないことだったなと思えるようなときがきっと来る。
2番Bメロ前半
表面上どんなに強がって見せたところで、人は誰しもどこかしらに弱さや脆さを持っているもの。
自分もそうでしょうし周りの皆もそう。
ならば、その弱さなり脆さなりをお互いに受け止めて、相手に対して優しさを求めるのではなく、お互いにお互いを思いやる心を持とうではないかといったところでしょうか。
2サビ
どんなにつらくて苦しい状況であっても、必ず乗り越えていける。
それを信じ、目先のことに囚われずに未来を見据えて希望を持とうではないか。
そうすればきっと、明日は今日よりも良い日になるはずだ。
とまあ、そういうことを言っているのでしょう。
「大事なことは 空を見ること」とあるように、どんな状況にあっても大事なのは、希望を持ち続けることなのではありませんかね。
Cメロ
その気になれば、自分たちの力で世界を変えていくことはできる。
ネガティブな気持ちになって諦めてしまうことなく、自ら行動を起こしてみよう。
「Next generation!」というのは、「次の世代の者たちよ!」という呼びかけでしょうね。
ここの歌詞は、未来を担う若者たちに対するエールのメッセージと捉えて良いのでしょう。
2番Bメロ後半
2番の曲構成は、やや変則的ですよね。
Bメロが前・後半に2分されて、その間にサビとCメロが挿入されている。
歌詞の意味の流れからすると、この配置の方がわかりやすくなるということでしょうかね。
何もしなければ今のままで何も変わらない。
現状を変えたいのであれば行動を起こすしかない。
ということをここでは強調しているのではないでしょうか。
ラスサビは1サビを繰り返して、最後に
というフレーズが付け加えられています。
そこには、どんなに苦しくて厳しい時代であろうとも、未来を切り開いて生き抜いてみせるぞという強い意志が示されている。
どんなに困難な状況に置かれようとも、悲嘆に暮れてばかりで何もしないのではなく、自ら行動を起こして、その状況を少しでも変えていこうではないかという力強いメッセージが、この曲には込められていますね。
引用:秋元康 作詞, HKT48 「こんな時代に…」(2024年)
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