君に隠したかったこと(2024/4/8)
「先輩達に刹那さんのADHD(注意欠陥・多動性障害)の事を話したい」
と教授に言われた。
4月になって、私は大学4年生にギリギリ滑り込んだ。
これから研究室生活が始まる。
私はADHDだ。なので残念ながら色々な事が人と同じ様にできない。
昼間でも居眠りしてしまう事があるし、気分も落ち込み易く、イライラしてしまう事も多い。課題に集中できなかったり、課題の締め切りが守れなかったり、じっとしているのが苦手だったり、片付けが下手だったり、物事の優先順位が決められなかったりする。
そしてこれは割と最近自覚したのだけれども、どうやら私は話を聞くのが苦手らしい。母親の話に相槌を打っていたらしいのに私自身には記憶がない事もあるけれど、そういう事ではない。人混みでは声がよく聞こえない時があるし、話が難しくて会話に加われない時がある。
単純に耳が悪いのだと思っていたのだけれども、最近になってAPD(聴覚情報処理障害)という音としては聞こえているけれど言葉として聞き取れない状態がある事を知った。確かに私は聴力検査で問題があると言われた記憶がなかった。ADHDやASD(自閉症スペクトラム障害)、LD(学習障害)と併発する事もあるこの症状を私も抱えているのかもしれなかった。
私は日常生活に様々な困り事を抱えている。教授と助教を除けば事情を知っているのは研究室では仲の良い同期の男の子だけだった。
教授はそんな私が先輩方に怠惰でだらしない学生だと思われる事や私の頼み事が同期の男の子1人に集中するのを避けたかったらしかった。
「M1の先輩達には話しても良いかな?」
と教授は言ったけれど、どうするかは私の意向に沿いたいと言ってくれた。
私は不安だったけれど、どうしても隠したいとも思ってはいなかったので頷いた。
障害の事を知っておいて貰えたら安心できる側面は大きい。
プライドなど母親のお腹の中に置いてきているので手伝われて自尊心が傷つくという訳ではない。寧ろ凄くありがたい。
でも同じくらい怖かった。
配慮を強いてしまう事で迷惑をかけるのが恐ろしかった。引かれてしまうのが怖かった。そして多分、対等に見て貰えない可能性がある事も怖かった。
先輩に好意を打ち明けられなくなる予感がした。それも辛かった。
「初恋、ざらり」で見た
「手帳持ちは引かれるからね~」
という言葉が耳から離れなかった。私は手帳を持っている訳ではないのだけれども。
教授は最小限の情報の共有に留めるし上手く話すので自分に任せて欲しいと言ってくれた。
「もし嫌な思いをしたら言う様に」
と教授は言った。
M1の先輩方が呼ばれていった後に私は教授の部屋を覗いてみた。教授の部屋の扉の曇りガラスから先輩達の後ろ姿が見えて、変な動悸がしてお腹が痛くなった。
動画を見る課題をやりながらTwitterを見てしまいそうな気がしたのでTwitterは閉じた。スマホは机の中にしまった。
暫く動画を見ていたのだけれども、休憩時間が近づくにつれて研究室に先輩方が戻ってきて動画の音声が聞こえなくなってしまったので、一足早く休憩にした。
真面目に動画を見ていた筈なのに、気づいたら居眠りをしていたらしかった。それからも動画を見ていたけれど、結局集中力が切れてしまった。
集中力を切らした私が先輩達と話していたら、M2の先輩に
「課題は終わった?」
と訊かれた。私は課題に戻った。もしかすると教授はM2の先輩方にも事情を話したのかもしれなかった。
同期達は先に帰っていった。
課題を終わらせた私が帰り支度をしていると、その先輩に
「課題は終わった?」
と訊かれた。
「はい!」
と言って私は研究室を出た。
偶然好きな先輩と彼の同期の先輩と一緒に帰る事になった。
小雨が降っていたので私は傘を差していたけれど、2人は差していなかった。
「傘差さなくて良いんですか?」
と訊きたかったけれど、何となく言えずに2人が話すのを聞きながら黙って歩いた。「多分この人達も私の障害の事を知ってるのだろうな…」
と思ったけれど、別に向こうは私に何も言ってはこなかったし、私も話は振れなかった。
私は多分彼に一番その事を隠したかった。
電車で何故か修学旅行の話になった。全員京都に行っていて面白かった。私の修学旅行の旅程がかなり変わっていたので先輩方は驚いていた。
同期の先輩が
「刹那ちゃんは何処に住んでるの?」
とか色々と話を振ってくれた。
先に同期の先輩が降りて行って、好きな先輩と2人きりになった。
「コアタイム退屈してない?」
と訊かれたので、
「あ、はい」
と答えながら
「この人は退屈しているのだろうか…?」
と思った。私は作業に集中していないし、なかなかじっと座っている事ができないので伸びをしたり立ち上がったりするので彼には退屈している様に映ったのかもしれないし、その質問はもしかすると彼なりの気遣いなのかもしれなかった。
特に話す事もないので2人で黙ったまま電車に揺られていた。本当は訊きたい事が沢山あったけれど、訊いて良いのかわからなくて黙っていた。
「この人が私を好きになってくれたら良いのに」
と思った。
研究室の先輩達の中には同期の異性を下の名前で呼んだりする人も居るけれども、先輩は絶対に私を下の名前では呼ばなかった。というか異性の先輩は誰一人私を刹那さんとは呼ばなかった。異性に馴れ馴れしくされるのには慣れていないので、良い意味で空いている距離感が嬉しかった。でも研究室に上手く馴染めていない気もしてほんの少しだけ寂しかった。
私は人の気持ちがわからない。私の事情を知った先輩方が気にかけてくれているのか、引いているのか、はたまた迷惑に思っているのかは判然としない。
あの時何と返事をするのが正解だったのか、今もわからずに居る。