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anewhiteのCDを買った(2024/4/23)

前日、つまり4月22日、TAから外された。
TAというのは「ティーチングアシスタント」の略で、もう少し年齢が下の学生に実験のやり方とかを教える仕事だ。しかもそれなりに賃金が発生するのだ。ちゃんと文部科学省のサイトでも紹介されている。
私の研究室では学部の4年生も駆り出されるのだ。
そこから外された。
「合理的配慮」の下での判断だった。
教授は、研究の立ち上げに四苦八苦する私に後輩の面倒を見ている余裕がないと判断したらしかった。自分の事に集中する様にと教授は言った。
ただ、私はそれが辛かった。先輩方や同期の負担を増やして迷惑をかけるのは心苦しかった。
「まだ先輩達は余裕があるから」
教授の返事はこうだった。
「ラッキーだと思って貰って構わない」
と彼は言った。

何となく先輩方と一緒に帰ろうと思った。
私はここ数日ずっと先輩方と一緒に帰っていた。深い意味はない。1人で暗い道を帰るのは少し怖いし寂しいというだけだ。
何となく好きな先輩に
「一緒に帰って良いですか?」
と訊いた。
「良いよ」
と言う前にコンマ数秒間が空いた。私を見つめる彼と、彼の同期の男の子の表情に戸惑いと嫌悪が見えた気がした。
「あ、また間違えたんだな」
と私は直感した。
時は遡る事数日前、この時も私は何となく先輩方と一緒に家に帰っていた。同じ駅で降りる先輩が居たからだ。
前方の乗客達がのろのろと乗車していた。下手をしたら乗り遅れるのではないかと思った。
私が乗って好きな先輩が乗ろうとした瞬間、電車の扉が閉まった。
刹那、私は咄嗟に彼のがっしりとした手を掴んで彼を電車の中に引き込んでいた。あまりはっきりと覚えてはいないけれど、多分彼はちょっと電車の扉に挟まったと思う。少しひんやりした手だった。
私は彼が降りるまで、彼が同期の男の子達と談笑しているのに黙って耳を傾けていた。
そこから何となく狂いかけていた歯車は完全に狂ってしまった様に思えた。少なくとも私は、だけれども。
私は上手く人の会話に入れない。先輩方が研究の内容について話している時は勿論、雑談にすら口を挟めない。彼らの幼少期の給食の話題にすら、である。一応何か言葉にしてみる。でも、あまりにも独り言が多過ぎる私の発言は全て独り言として扱われるのか、それに対して誰かがリアクションを返す事はないのだった。特に深い意味はないのだろうけれど、何となく私は無視されている様な気分になり、面白くなかった。自分が幽霊になった様に思えた。本当に私は視えていないのかもしれない。
先輩方と一緒に帰る度、私は会話に入れずにぼんやりしていた。
「話を振って貰えない」
と拗ねるつもりはないのだけれど、やっぱり寂しかった。

ずっと自分は研究室に居ない方が良い気がしていた。私が居ない方が色んな事が上手く回るのではないかと思っていた。その疑念は確信に変わった。
自分の事が上手く愛せなかった。自分のADHDという特性を個性として愛する事などできる筈がなかった。
「私がADHDでさえなければ、教授も先輩も同期も楽だったのに」
そんな思いが頭をグルグルと回った。
涙は出なかった。泣きたいとすら思わなかった。

いつ頃からかはわからないけれど、研究室に行きたくないと思う事が増えた。研究室も大学も辞めたかった。何ならさっさと死にたかった。同期の男の子達は院試の筆頭免除の権利が繰り上がった。粒揃いの学生が揃う優秀な研究室で、私だけが無能だった。私が研究室に居たら迷惑だった。
好きな先輩と距離を取ろうと思った。彼と目が合わせられなくなった。もう全ての先輩や同期と平等に距離を置こうと考えていた。どうせなら全ての先輩や同期から一発で嫌われたいと思った。
本当は研究室に馴染みたかった。迷惑などかけたくなかった。誰とでも上手く話したかったし、雑談だって上手くやりたかった。
本当は、みんなに愛して欲しかった。私は彼らに馴染みたくて愛されたいだけの承認欲求の化け物だった。
研究室のチャットに
「化け物の飼育は大変ですね」
と書き込んでやりたいと思った。研究室の人達を殺して自分も死ぬ事を夢見ていた。
いざ当人達を前にするとそれが上手くできなかった。多分私は人との距離感をずっと間違えている。

翌朝、学校に行く為に着替えていたら、急に学校に行くのが面倒臭くなった。私は上半身はブラウス、下半身は下着姿のままベッドに寝転がった。
暫くして母親が呼びに来た。
私は突っぱねた。もう大学になど行きたくなかった。
母親と暫く揉めた。自分など居ない方が良いと言えば殴られた。拳で殴られたのは数えるほどしかなかった。
「私さえ居なければ」
と思ったら涙がボロボロ出た。
研究の結果がすぐに出ないのはおかしな事ではないと母親は言った。
「せっちゃんは昔からスロースターターだったから」
というのが母親の言い分だった。
母親曰く、私は色んな事が遅い子供だったらしい。
寝返りも、つかまり立ちも、歩くのも、自転車も。早生まれなのもあるだろうが、私は同世代の子供に比べてこれら全てができる様になるのが遅かった。ただ、コツを掴めば卒なくこなすというのが母親の評価だった。
小学校や中学校、高校の様々な先生が私の事を評価していたと母親は言った。そんな事を聞いても今更だった。
TAを外された事を母親に話した。
「せっちゃんがいっぱいいっぱいだから教授は外してくれたんだよ、ラッキーと思って良いんだよ」
と母親は言った。教授に説明された事を何も伝えていなかったのにそういう風に思っていたのは驚くべき事だった。
母親は学校を休んで良いと言ったけれど、私は行くと言った。大事な実験があったからというのもあったけれど、いざそういう状況に置かれると私は先輩方や同期に会いたくなるらしかった。
「体調が優れない為遅れて登校します」
と研究室にチャットを送ったら、「お大事に」のスタンプが大量についた。ほぼ仮病なのに申し訳ないと思った。誰がスタンプを押したのか見たらその中に好きな先輩の名前を見つけた。ほんの少しだけ嬉しかった。
大学の最寄り駅に着いてのろのろ歩いていたら、偶然前年度の英語の先生に会った。散々課題の提出が遅れてしまい、留年寸前だった私を締め切りギリギリまで痺れを切らしながら待ってくれていた先生だった。
顔を二度見した彼女はそのまま私に近づいてきた。彼女の話す言葉は流暢な英語なので何を言っているのかは殆どわからなかったけれど、
「課題がよくできていた」
「受かった」
と言っていた事だけはわかったので、
「Thank you.」
とだけドギマギしながら返した。褒めて貰えたのは嬉しかった。

学食で温玉うどんを食べて、研究室の備品のポットを洗った。ぼんやりしていたら先輩が面白い動画を見せてくれた。
実験はTAに関係するものだったので、やらなくて良い事になった。
その後はスマホでソリティアをしたり、机に伏せてボーッとしたりしていた。ボーッとしていたら、先輩が
「刹那さん、体調は大丈夫?」
「無理しないでね」
と何人も声をかけてくれた。
助教の方に
「私ってこの研究室に居ても大丈夫ですか」
と訊いてみたら、
「大丈夫です」
と5回くらい念押しされた。
3時にコーヒーを沸かして、隣の席の先輩がくれたお菓子を食べた。
暫くしたら何となく元気になってきたので、論文を読んで内容をまとめて先輩に送ったりした。
19時前に大学を出た。
殆ど何もしない日だった。生産性がなさ過ぎて自分でも驚いた。
何となく、今日こそずっと欲しかったanewhiteのCDを買おうと思った。anewhiteというのは最近私がハマっているインディーズバンドだ。別に生産的な事は何もしていないのだけれども、今日1日を乗り越えたご褒美が欲しかった。
新宿で途中下車して、タワーレコードに寄った。
私は新宿のタワーレコードが大好きだった。SixTONESやNEWSのメンバーが誕生日を迎える度に店員さんが愛の詰まったポップを作ってくれるのが嬉しかった。何処かのアイドルがCDの発売イベントをやっていて、ファンが昔のアイドルの親衛隊みたいに大声を出していた。いつもより騒がしいタワーレコードは私には少ししんどかったので、耳を塞がせて貰った。
J-POPのコーナーにはちゃんとanewhiteのコーナーもあって、2nd EP「劇場を抜けて」と1stフルアルバム「2000's」が置いてあった。私は「劇場を抜けて」に収録されている「群像劇にはいらない」と「Laundry room」、「curtain call」が大好きなので、迷わず「劇場を抜けて」を選んだ。初めて買うCDは「劇場を抜けて」が良かったので夢が叶って嬉しかった。
「劇場を抜けて」は普段持ち慣れたプラスチックのケースではなくて薄い紙のケースに入っていてその心許なさがほんの少し寂しかったけれど、その薄くて軽いケースを手にしただけで曇り空みたいな1日が報われた気がした。

anewhiteの2nd EP「劇場をを抜けて」


私は2年前の12月に新宿のタワーレコードでNEWSのシングル「三銃士/LOSER」とアルバム「音楽」を買った。それが私が手にした初めてのNEWSのCDだった。冗談抜きであの時と同じくらい嬉しかった。

NEWSの29th シングル「三銃士/LOSER」と12th アルバム「音楽」。購入日は2022年12月22日


写真を撮ってTwitterに載せたら、anewhiteのボーカルをしている佐藤さんがいいねをくれた。

家に帰ったら母親がコンビニで買ったチョコレートクレープを用意して待ち構えていたので、ありがたく頂いた。
急にanewhiteの新曲「君が夜」が配信されるのが翌日の午前0時だという事に気づいた。私は普段から寝るのは遅いのだけれども、とりわけ火曜日はSixTONESのメンバーである京本大我が主演を務めている「お迎え渋谷くん」というフジテレビ系のドラマを見ているので、絶対に新曲をすぐ聞く事ができた。
生きていて良かったと思った。

結局のところ、私はあらゆる場所の中で一体どういう立ち位置なのだろうか。先輩方や同期が私なんかに構ってくれるのはありがたいと思っている。いつかこんな私でも馴染めるだろうか。何かの役に立てるだろうか。




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